非武装地帯・板門店

【只管打座:非武装地帯・板門店:05.05.20】
しばらくのご無沙汰でした。大型連休があり士協会NWの行方が見えないことなどから、五月病に陥っていたせいもあります。
連休後半に初めて韓国を訪れました。韓国旅行の機会が無かった訳ではなく二十年も前から幾つかの機会はありましたが、何となく気重で行かなかったのです。今回は個人的な事情が重なって重い腰を上げたのが実際のところです。
ソウルでは明洞のシンソンソルロンタンも南大門市場もNANTAも行きましたが、「百聞は一見に如かず」と、改めて思わされたことが幾つかあります。その内の幾つかを記事にしてみます。読者の多くは既にご存じのことばかりかもしれませんが、そんな見方もあるとお付き合い下さい。
「板門店ツアー」
今回の個人的な事情とは、韓国の友人から観光旅行を誘われたことにありますし、中部国際空港(セントレア)から飛んでみたかったこともあります。
仁川空港に出迎えてくれた友人から何処へ行きたいかと尋ねられた時に、茫猿は迷わず「Panmunjom 板門店」と答えました。予約を必要としたり、服装注意があったり、二度もパスポート検問を受けたりと多少手間がかかりましたが、行ってよかったと思います。
38度線といっても、高さも幅も10cmほどのコンクリート製の境界があるだけで、国連軍(現在は韓国軍警備)と北朝鮮軍が何の障壁も無く対峙する場所ですから、何も起きはしないと判っていても二列歩行を求められたり、許された場所以外では、撮影、指差し、立ち止まることを禁止されれば、やはり結構緊張します。
板門店は幅10キロに及び非武装地帯のなかにありますから、周囲は鉄条網と地雷原が囲んでいることは云うまでもありません。
軍事停戦委員会会議場に案内されたのですが、窓越しに北朝鮮兵士が指呼の間に見えますし、屋内では韓国軍兵士が直立不動で歩哨しています。
茫猿は最初は韓国軍兵士(国連軍)のマネキンだろうと思いました。あまりにも直立不動の姿勢(小川直也のハッスルポーズに似ている)が美しいし、微動だにしませんから間違えるのも無理ないのですが、よく見れば若い韓国軍兵士です。
歩哨勤務は40分交替で零下の真冬も行うのだそうで、屋内はともかく屋外歩哨は大変だろうなと思えたことです。板門店勤務はエリート兵士だとのことで、案内をしてくれた兵士も皆美丈夫でした。
もっと驚いたのは、この歩哨する兵士と写真撮影が許されたことです。
凛々しく若きエリート兵士とお腹の出かけた茫猿のツーショットをご覧下さい。
板門店を訪ねる行程はイムジン川(臨津江)沿いを辿ります。車窓からイムジン川を眺めていると、昔(1968年頃)フォーク・クルセダーズが歌って後に発売禁止になったイムジン川を思い出して少し感傷的になりました。
イムジン河水清く とうとうと流る
水鳥自由に むらがり飛びかうよ
我が祖国南の地 思いははるか
イムジン河水清く とうとうと流る
北の大地から 南の空へ
飛びゆく鳥よ 自由の使者よ
誰が祖国を二つに 分けてしまったの
誰が祖国を 分けてしまったの
北朝鮮から流れ出すイムジン川はソウル市内を流れているハンガン(漢江)と合流して黄海に流れ込む訳であり、空も河もつながるのに、人は何故に分断の悲しみや苦しみを受けなければならないのか、そんな思いが伝わります。
「文禄慶長の役とJapanese Invasion」
ソウル市内の宮殿遺産のうち、世界遺産チャンドックン(昌徳宮)を見学中に、興味深い案内板を見つけました。昌徳宮の歴史を案内する4枚の看板でして、それぞれハングル、英語、中国語、日本語の四つの言葉で掲示されていました。
日本語の案内は「文禄慶長の役」という記載であり、中国語表示は「壬申倭乱」という表示です。
英語では「Japanese Invasion」(日本の侵略)と表示されています。残念ながらハングルは読めませんので記載内容は判りませんが、多分英語表示と同じかそれ以上の辛辣な表示なのでしょう。
中国語表示が「日本侵略」でなく「壬申倭乱」なのは、多数訪れる日本人観光客の大半は漢字を読めるから、イルボンが判読可能なことに留意して表記に手心を加えたものでしょう。歴史認識と観光経済の狭間における韓国の人々の複雑な思いを垣間見る気がしましたのは深読みでしょうか。
「日本語表記」
朝鮮第14代王、宣祖25年(1592)に文禄・慶長の役で宮殿が全て焼失。
「中国語表記」
朝鮮第十四代王、宣祖二十五年(1592)壬申倭乱中被災。
「英語表記」
The palace was completely burned down during the Japanese Invasion
・・・・・・いつもの蛇足です・・・・・・
韓国の友人の家に招待されて夕食を御馳走になったのですが、その時に彼の奥さんがいわく、「あなたが、最初に板門店に行きたいと言ったことはとても嬉しい。主人もとても喜んでいます。」
彼女の感想について、受け止め方は様々でしょう。「板門店は観光地になるほど安定している。平和です。」ともとれるし、「日本人が板門店を訪れて、南北分断の実際を自分の眼で確かめてほしい。」とも受け取れます。
板門店の軍事委員会会議室にて、国連軍(今は韓国軍)歩哨兵士との記念撮影。撮影直前まで背後の窓越しに北側兵士が見えていました。
凛々しい美丈夫の彼と、平和ボケでだらしなく中年太りした茫猿。

板門店の北側施設を南側展望台から眺める。北側施設の窓からの双眼鏡による監視と機銃の銃口が見えました。画面手前の青い建物が軍事委員会会議場です。歩哨の兵士の姿も見えます。

板門店ツアーは五時間半ほど要しますので、非武装地帯近くの農村で昼食をとりますが、その昼食場所です。松丸太のログハウスです。昼食は全く期待していなかったのですが、結構美味でした。

友人が案内してくれたソウル市内のオープンホルモン焼き店です。
店内と路上と選択できるのですが、当然路上でいただきました。
1m位の長くて丸いままの塩ホルモン(小腸)焼がマッコリにとても好く合い、結構いけます。小腸の中身が入ったままでしたが、あれは何だったのでしょうか、今でも不明です。

ソウル市庁舎前広場に飾られていた「花祭り」の飾りです。(お釈迦様の誕生を祝う祭りで、日本では4月上旬に行われるが、ソウルでは旧暦で行われる)行燈スタイルの飾り付けであり、夜には電飾されてとても美しい。教会の尖塔が目立つソウル市街ですが、仏教徒も多いことの証明です。

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