冬来たりなば

 冬来たりなば春遠からじと謳ったのは誰であったか、
放射冷却のせいもあって今朝方の冷込みはこの冬一番だったと思うが、
昼頃には陽ざしも明るく春近しの陽気になった。
風もなく空は晴れ渡り、今の時期にしては澄んだ青空である。
そういえば、昨夜の月も美しかった。
未だ厳冬のなかにある方々には申し訳ないが、
もう春の兆しは其処此処に溢れている。
 我が身の回りでも旅立ちの春である。
新しい職場に向かう者、新しい世に旅立つ者、様々であるが、
人は生まれ、出会い、別れ、そして逝くのである。
齢を重ねると云うことは、別れや逝く人への感傷が深くなるようだ。
それは多分、新しい出会いが少なくなり、
故き者との別れが多くなるからであろう。
 病床で襲ってくる苦痛に苛まれながら、正岡子規は喝破したという。
『悟りは死を受け入れることではなく。
   現実をあるがままに受け入れることである。』
 耐え難い苦痛から、自死すら考えたという子規ならではの境地と云うか。
でも子規の全生涯は36年間である。悟るには若すぎる36年である。
昨秋、彼が晩年を過ごした子規堂の慎ましやかな佇まいを松山で見た。
 「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな」(子規)

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