遠吠え書生論(ある往復E.Mail)

『ある先輩と往復したE.Mailの一部です。』
茫猿遠吠wrote>
朱夏大兄 E.Mail 有り難うございます。いただいたどの話題も重いテーマですから、RESも気重です。話せば長くなりますが、鑑定士が青臭い書生論を語らなくなって久しい感じがします。そして鑑定士も(ホリエモンや村上ファンドを持て囃した)社会の風潮から無縁ではないと云うことなのでしょう。


朱夏大兄wrote>
『見えない永遠に思いを馳せると、鑑定協会で起こっていることのすべてが、
いまさらながら、取るに足りない、瑣末なことに思えます。』
茫猿遠吠wrote>
お察し申し上げますと云えば、皮肉っぽく聞こえましょうか。
大兄とは、立つ位置も忙しさも大きく異なりますが、業界活動については、私も何の為にこのようなことをしているのだろうと思う時があります。「無気力、無感動、無関心」の三無状態の人々などもう知るものか、放っておこうと思うことのほうが多いのです。
でも、少しだけ格好良く云えば、
四十年近くも業界に棲息し、女房子供を養ってこれたのは鑑定評価のお陰です。成るか成らぬかは判らぬが、少しくらいは恩返しの真似事をしよう。そう思い直して、蟷螂の斧を振り上げ、茫猿の遠吠を繰り返しています。
朱夏大兄wrote>
『安売りや倫理の欠如は、協会や役員の問題ではなく、鑑定士個人、みずからの問題です。
安売りと倫理の欠如は、裏腹になっていて、安かろう悪かろうにつながっているのです。』
茫猿遠吠wrote>
グレシャムの法則なのかなと思われますが、
鑑定士の不幸は、その生い立ちから仕事が用意されていたと云うことでしょう。損失補償基準要綱と地価公示法に支えられてスタートした生い立ちに不幸が始まったのでしょう。恵まれたが故の不幸というパラドクスです。
その後も、国土法・地価調査、監視区域添付鑑定・第三鑑定、固評標宅評価に相評標準地評価、抵当証券にRIETと続き、何度も神風に救われました。世間を相手に自ら業務需要を開拓したことなど無きに等しいのではないでしょうか。
その意味では今回の新スキームだって、鑑定士が提言するものでも、発議するものでも、運動するものでもなかったはずです。主導するどころか、今に至るも足を引っ張ったり、無関心だったりする会員の方が多いくらいです。
また固評標宅評価は「ゼロサム」と云えばまだましに聞こえますが、内実は猿山の分捕り合戦を見るような気がする時があります。本来、資格商売は金儲けにはつながりません。いつから、サムライ商売が金儲けの手段に置き換わったのでしょうか。金儲けを考えた時から資格者は堕落するのでしょう。
朱夏大兄wrote>
『先に述べた課題の幾つかについて、どれも鑑定協会でやろうと思えばできると思いますが、
では、誰がやるのでしょうか。
結局、役所の力を借りなければ何jもできない協会に終始するのでしょう。』
茫猿遠吠wrote>
三年寝太郎の鑑定士は、いつも外圧頼りなのでしょう。
せっかく示された「トランスペアレンシー(透明度)向上策」です。具体策が与えられるのを待つのでなく、鑑定協会自らが積極的に環境整備してゆく・・・・・・、そんな姿勢は望み得べくもないのでしょう。
でも、朱夏大兄
私は、この夏、改めて久野収氏や福井達雨先生に学ぼうと思います。
そして福井先生の「負けいくさにかける」ことの本当の意味や、久野収氏の「少しでも理想に向かうことが我々の勝利であり、どんな敗北の中からも民主主義完成の契機がある。どんなに敗北を重ねても負けない自分がここにいる。それが人間の勝利であり、それ以外の勝利を考えるようになると組織や運動はもちろん人間の堕落が始まる。」 と云う言葉の重みを考え直してみたいと思っています。
追伸
辺見 庸氏の「審問」を読み始めています。そのなかの一節です。
IT成金のなかには、この世の中にお金で買えないものはないと言い放った青年もいたようですが、たしかにこれは半面の真理でしょう。ただし、彼等には自分の精神のあらかたが資本に絡め取られているという、本質的貧しさの自覚がない。内面の貧寒とした風景は、しかし、いまの社会のうそ寒さと釣り合うようです。
市場とは冨だけでなく、同時に途方もない貧困とこれにともなう悲劇を産み出す無慈悲な場であるという事実を深く内面化しない限り、お金まみれになるということの「人間であることの恥辱」に気づくこともないのでしょう。

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