社保庁の現場にて

 TBS「みのもんたの朝ズバッ!」では、さんざんに批判された社会保険庁であるが、現場の雰囲気は悪くない。厚生年金の受給資格などを確認するために先日近くの社会保険事務所を訪問したのだが、とても親切な対応だった。待合いロビーの雰囲気も良いし、案内係の職員も高圧的なところがなく丁寧な対応振りである。資料さえ持参すれば、全て担当の職員が記入してくれるしから、あまりに老人扱いされて些か鼻白んだ位である。


 考えてみれば当たり前の話で、年金保養基地や年金会館などの無駄遣いは一般職員には何ら係わりのない話であり、霞ヶ関と永田町マターの話ばかりである。最近話題になった無駄なコンピュータシステムも社保庁職員には関わりない話であろう。
 朝ズバはじめマスコミはエキセントリックに社保庁、社保庁と批判するが、社保庁単独で年金保養基地も年金会館も建設できるわけがないのであり、厚生省や与党の主導なくしてはあり得ない話である。例えばこんな話があった。年金保養基地の建設が決まった時に、その建設企画書があまりにも金太郎飴的画一企画だったから、関係者に疑問を糺したらこんな答えが返ってきた。「企画書は地元事情を熟知する地場在住コンサルタントに作成依頼したほうがよいことはよく判っている、でも指定される東京の※※財団法人コンサルタント作成書類でないと霞ヶ関では受け取ってもらえないのです。」
 社会保険事務所の窓口対応は、以前はともかくとして批判以降は随分と改善されたのであろうと思う。不快感など少しもなく懇切丁寧な応対であった。
この資格確認で驚かされたことが一つあった。それは、今から40年以上前につながることなのである。茫猿は学校を卒業して約一年間、某社に勤務したのであるが、その時に初めて年金番号を取得したものとも思い込んでいました。その後、現在の鑑定事務所に転職して間もなく事務所が年金制度に加入して現在に至っているのである。創業間もない当時の事務所で、今は亡き師匠にお願いして社会保険制度や経理手当制度の作り上げに関わった想い出がある。
 問題は、この四十年ちかく継続する年金番号ではなく、もう一個統合されていない年金番号があるのだという。こんな問答が窓口で交わされた。
(社)「あなたは、以前に京都にお住まいではありませんか?」
(望)「はい、若い頃住んでいましたが、それが何か?」
(社)「その頃に、お勤めの経験は有りませんか?」
(望)「当時は学生ですから勤めてはいませんが、アルバイトくらいなら。」
(社)「実はあなたと同じ名前・誕生日の年金番号があるのです。」
(社)「そのアルバイト先は思い出しませんか、頭文字『ア』行ですが。」
 ここまで誘導されて、古い記憶を思い出したのです。
(望)「確かに、学生時代にアルバイトをしていました処に企業化したアルバイト先が有りました。でも其処は一年ほどで辞めましたし、正社員就業は無かったはずですが? 社名は確かアサヒ・・・といったはずです。」
 誘導された結果とはいえ、よくもまあ四十年以上も前のことを思い出したものです。当時、19歳春から20歳夏まで、茫猿は京都三条大橋のたもとにあった「ベラミ」というナイトクラブでフロアボーイのアルバイトをしていました。
「ベラミ」は超有名クラブで、二十人編成くらいのタンゴバンド:大阪キューバンボーイズが常勤し、折々には越路吹雪さん、加山雄三さんなど有名歌手も出演していました。有名人が出演する時には勝新さんや裕次郎さんが顔を出したものです。其処が店名ベラミ、社名アサヒ・・なのです。(当時の京都は幾つかのナイトクラブが盛業であり、ベラミ、おそめ、クラブ祇園などは芸能人や有名人が集まる高級店でした。)
 ベラミは当時の京都で有名・高級な社交場所ですから学生アルバイトは認めないので、学生身分を隠して勤めていたのですが、約一年間の試用期間が終わり正社員に雇用されたのです。正社員になればボーイから主任への登用の道が開け、ドアボーイやトイレ当番から解放される訳です。
 しかし、正社員になればビフォーファイブの仕事もこなさなければならなくなり、勤めを続けることが難しくなって、間もなく辞めてしまいました。
 話が長くなりましたが、本人にも記憶に無かった僅かな正社員期間の年金記録が社保庁サーバに残されており、姓名と生年月日をキーとして照合されたのです。これには驚きましたと同時に、日本の社会システムはまだまだ大丈夫と思ったことです。
 社会システムが現在も健全か否かは、この一事では判らないのであり、当時は健全であったという証拠にしかならないのかもしれない。でも社会保険事務所の窓口で、40年以上も前のアルバイト先で年金番号を取得したことや、卒業後短期間勤めた某社の記録などを改めて見て感動し少し目頭が潤みました。
 年齢的には年金受給資格者になったという「ある種」の寂しさを感じたことでもありますが、何よりも40年以上の時間を、大病せずに、事故も起こさずに、云ってみれば「大過なく、無事に過ごせたことに優るものはないのであろう。」という感慨にしばし浸ったのです。「無事是名馬」とまでは申しません。でも無事に過ごせた身体に産み育ててくれた親に感謝したいと今さらながら思うのです。
 
 何の脈略もないのですが、一昨日の夕焼けです。社保事務所からの帰り道、西空に浮かぶ不思議な形の雲が珍しくて写しました。

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