惑わされない確かな眼を

 小泉時代から安部時代に引き続いて論陣を張るいわゆるTV識者の一人に、岡崎久彦という元駐タイ大使がいる。彼が06.09.03に読売新聞に寄稿した論考に「自民総裁選と靖国問題」というものがある。世相に現れる事象を「スード・イベント」(偽の事件)と、「リアル・イベント」(本当の問題)に分けて論じようと云うものである。


 最近の新自由主義者や安部チルドレン補佐官などに多い思考方法である「二元論思考」である。判り易いし一見というか一聴する限りにおいて説得力がある。岡崎氏がソフトに語ったりすると(実のところ、結構、慇懃無礼なのであるが)、それもそうだなとコロット騙されやすいのである。
 以下は特定非営利活動法人岡崎研究所サイト、「政争の具にするな、自民総裁選と靖国問題」より引用するものである。

 政治学では「スード・イベント」(偽の事件)という言葉があるそうである。 わかりやすい例として、徳川時代250年、大坂城落城からペリーの来訪までの間の日本における最大のイベントはなんであったかというと、それは赤穂浪士の討ち入りだった。討ち入りは天下の耳目を聳動(しょうどう)させた。しかし大坂城落城とペリーの来訪はたしかに日本の歴史を変えたが、討ち入りは日本の政治、経済、社会の構造になんら影響を及ぼすものでもなく、歴史の流れを変えたものでもなかった。したがって、それをリアル・イベント(本当の問題)にたいするスード・イベントと呼ぶのである。
 ひるがえって、靖国問題とは何だろう、と考えると、日本の政治、社会に変化をもたらすような問題ではないし、まして国民の安全と繁栄にも影響はない。そしてこの問題が忘れ去られたあとは、歴史に爪痕(つめあと)も残さないであろう。
 現在あるのは、朝から晩まで喧(さわが)しく論じられているという現実と、中国の首脳が日本の首脳との会談を拒否し、韓国がこれに同調しているという事実だけである。 (引用終わり)

 如何だろうか、「ウーム、それもそうだな、赤穂浪士の討ち入りは大阪落城やペリーの砲艦外交に較べれば歴史の展開に何ほどの影響も与えなかっただろうな。」 そうお考えになった方が多いのではなかろうか。これを読んで違和感や不快感をお感じになった方はどれくらいおみえだろうか。
 巧妙なレトリックである。小泉時代以前にも存在したが、小泉以後はとても多いすり替えや置き換えや三段論法的な巧妙な騙し論理である。赤穂浪士は日本史に何の影響ももたらさなかったか、もし岡崎氏が本当にそう考えているのであれば彼は歴史や政治を語る資格は無いと云えるのである。
 考えてみるまでもないことであるが、歌舞伎や文楽や読み本の世界で忠臣蔵が人口に膾炙して以来、日本人の心の深層にどれほどの影響を与えたか計り知れないものがある。最近でも年末になるとTVや舞台の世界では仮名手本忠臣蔵が手を変え品を代えて上演されるではないか、NHK大河ドラマの演目を見ても一目瞭然である。
 日本人のものの考え方、情念の深層に、赤穂浪士や忠臣蔵はどれほどの影響を与えたか云うまでもないことであるが、それを「スード・イベント」(偽の事件)と切り捨てるのが政治学であるとすれば、そのような政治学に何ほどの意味を認めることができようか。キャリア組というか思い上がったテクノクラートが弄ぶ政治学や政治手法に翻弄される一般市民こそいい面の皮なのである。
 
 もう一つ付け加えておこう。岡崎氏は同サイトの別の論考で「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」と主張している。遊就館に展示されているのは反米史観だけではなく、大東亜戦争を自存自衛の戦いであると主張する「八紘一宇史観」が明らかなのであり、後者の方が大きいと云えよう。この展示に批判的な論考を掲載することにより、何がしかのアリバイ工作を行っていると論断するのは厳しすぎるであろうか。

Tags: 

関連の記事

カテゴリー: 茫猿の吠える日々 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です