親子船の海難

 7000tのイージス艦あたごが7tの漁船と衝突し二つに切断して沈めた事件について、「これら今新聞やTVを騒がせている事件について、マスコミの取り上げ方は瓦版的喧噪に終始しているように思えてならない。」と書いたのは08/2/20掲載の記事である。

 これらの今日的マスコミの、その騒がれる表層下に潜むもの見えてくるものがあると云える。それは事件に関係する省庁や機関が組織維持に汲々とする姿勢であり、組織内論理に逃避する姿勢である。それら内向きの論理に終始し、言い訳ばかり考え、とりあえずはカメラの前で頭を下げておこうという姿勢には、優先順位感覚が見えてこない。 このような姿勢からは、国民の生命と財産の維持こそが最優先されるのだという「根本的な優先順位感覚」が何も見えてこないのである。

 今日(08/03/01)の中日新聞朝刊は、『イージス艦「あたご」の衝突事故で、防衛省が事故当日の19日に事情聴取したあたご航海長を、現場で行方不明者の捜索活動にあたっていたヘリコプターを使って防衛省に移送していたことが29日分かった。』と伝えている。

 防衛相での事情聴取には石破防衛大臣が同席していたという。大臣が同席していたと云うよりは、大臣が事情聴取を主導したというべきであろうし、一歩控えても黙認し同意していたと云えるのであろう。
 事故後の対応の遅れ、公表事項の錯綜・矛盾、「救命ボートや内火艇を降ろして、直ちに全力を挙げて救助にあたった」という発表はなく、「捜索にあたった」という発表しかないこと、捜索ヘリを割いて事情聴取者を送迎していたこと、等々から見えてくることは大臣自ら公表情報の改竄や予断的整理にあたっていたのではないかという疑いである。
 自衛隊の最高指揮者は総理大臣であるし、直接的責任者は防衛大臣である。文民統制ということは防衛相内局が海自、陸自、航自を指揮すると云うことではない。国会が、政府(総理大臣)が指揮・統制するということである。福田氏のシニカルな性格のせいなのかもしれないが、事故発生後今日に至るまで福田総理の記者会見や国会答弁は何やら他人事のように淡々と語っているように聞こえてくる。
 海上自衛隊の就航したばかりの最新鋭艦が領海内で自国船に衝突し沈めてしまい、ホームレスに魚を届けていた心優しい親子乗組員を未だ行方不明にしているという痛ましい出来事の持つ重みを、心深く感じている心情が伝わってこないのである。防衛大臣にしてもやたらレトリックの多い冗長な説明や答弁はあるが、石破氏の哀悼の情は伝わってこないのである。
 総理大臣や防衛大臣は情に流されてはならないのであり、一国を預かる気概は片々たる情などは包み隠して、冷静にときに冷酷にことに対処すべきであろうと考える。考えるが自ずと見え隠れする心情というものがあろうと思えるのである。
 ミサイル防衛問題や米軍再編問題、沖縄基地米軍兵士暴行問題、守屋次官過剰接待と装備調達疑惑など、防衛省と自衛隊には問題山積であるが、であればこそ漁船衝突沈没事件の経緯全てを正確に明かすべきであろう。
海上保安庁の捜査に委ねているという弁解の本意はこういうことなのである。 すなわち、「現在は海保が捜査中ですから、後々に言質をとられて防衛省や海自が不利になる可能性もあることですから、何も話せません。」という表現と同じなのである。よく事件ドラマで刑事が犯人に言うセリフと同じである。「ここで話すことは裁判で証拠となる場合がある。だから云いたくないことや自分にとって不利になることは云わなくてもよい。」
 でもそれは、一般の刑事事件の話では許されることであり当然の権利でもある。しかし圧倒的優位に立つ自衛艦や防衛省が行使してもよい権利なのであろうか、疑問なのである。
この件に関しては、永田町徒然草記事や、世に倦む日々の記事が鋭い指摘をしている。社民党の辻元清美議員の指摘も鋭いのである。
 折りしも、中日新聞は同じ紙面で沖縄米軍基地兵士の暴行問題に関して、「米軍兵士の不起訴処分・釈放」を伝えている。被害者が「もう、そっとしておいてほしい。」と告訴を取り下げたことによることと伝えている。何とも痛ましい結末なのである。
・中日新聞08/03/01社説
・毎日新聞08/02/29社説

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