私塾のすすめ

 「私塾のすすめ」とは「塾・鄙からの発信」のことではない。斎藤孝氏と梅田望夫氏の対談集のタイトルである。


 某月某日、書店巡りをしていて見付けた本が「私塾のすすめ」なのである。

斎藤氏は巻頭言にこういう。
『二人の共通する「思い」を一言で表現すれば、「私塾願望」と言えます。志を同じくする仲間と熱く語り合い、学びたい。中心には信頼できる人格と力量を併せ持った師がいてくれる。そんな私塾的空間で学びたいという願望があると同時に、自分もまた「私塾」を開いて若者と熱い学びの祝祭を味わってみたいという願望を持っています。』

梅田氏はあとがきに、こう言う。
『そこに存在するのは、「時代の変化」への鈍感さ、これまでの慣習や価値観を信じる「迷いのなさ」、社会構造が大きく変化することへの想像力の欠如、「未来は創造し得る」という希望の対極にある現実前提の安定志向、昨日と今日とは同じだと決めつける知的怠惰と無気力と諦め、若者に対する「出る杭は打つ」的な接し方、・・・といったものだけ。
 これらの組み合わせが実に強固な行動原理となって多くの人々に定着し、現在の日本社会にまかり通る価値観を作り出している。』

 熱く激しい両氏の思いが、この僅かな引用からも感じ取れると思います。「声に出して読みたい日本語」の著者斎藤孝氏、「ウエブ進化論」の梅田望夫氏の両氏が願望する私塾というもの、私塾という言葉に表現される、共に学び、語り、刺激し合う空間の創造、茫猿の思いもまさに其処にあっただけに、我が意を得たりと言えば、我田引水が過ぎましょうか。
 この書店巡りのなかで、もう一冊出会ったのが「パンツの面目 ふんどしの沽券」(米原万里:著)です。05/07/10刊行ですから、2006年5月25日にお亡くなりになった米原さんの絶筆と云ってもよい本でしょう。まだ一部に目を通しただけですが、さすがの博覧強記です。米原ファンには見逃せない一冊だと思い、ゆっくりと読み進めるつもりです。
 話は変わって某月某日、都内某所で関西のT築氏、関東のK川氏、東北のK泉氏、西国のS田氏などと盃を交わしたおりに話題になったのが、櫛田光男氏著の「不動産鑑定評価に関する基本的考察」についてでした。鑑定士が専門的になるのは良いとしても、細部にこだわりすぎて大局観を見失ってはいないかというところに話がすすみ、不動産に関わるものはすべからく人と社会についての哲学的基本認識が欠かせないであろうに、それが等閑(なおざり)にされているというよりも、端から意識もされていないことが嘆かわしい。
 いいや鑑定評価の将来にとってとても憂慮されるというふうに論がすすみ、「不動産鑑定評価の基本的考察」を全ての鑑定士は座右の書として、一度ならず二度三度と読むべきであろうに、今やその存在する知らない鑑定士が多数派となっているが、それで良いのだろうか。2001年に(財)日本不動産研究所によって復刻されたものの、非売品であり一部の関係者に配付されただけであった。地価公示四十周年の来年は鑑定協会によって復刻して会員に配付すべきであろうと云うのである。
 櫛田氏はマックス・ウェーバーの言を引用して、こう云う。
『学問上の仕事というものはみな新しい問題を提起するという意味をもつものであって、やがて学問上の他の仕事によって追いこされ、古くなるということをそれ自体望んでいるものである。』
 基本的考察は初版以来既に四十年余を経て、今や古典である。今は使われなくなった用語も少なくない。しかし古典であるがゆえにこそ、初代鑑定基準起草者の著書であるからこそ、基準起草時の、鑑定評価制度創設当時の関係者の思いというものを、この書から汲み取ることができるのであり、鑑定士が座右の書とするにふさわしいのである。
 また話は変わって、今月配本の「EVALUATION.no.29」はとても面白いというか興味深い記事が多いのである。ざっと目次を並べてみると次のとおりである。
◆現鑑定評価基準は、賃料の評価基準足りうるか?(田原 拓治)
◆「継続賃料鑑定評価基準」改定の指針(勝木 雅治)
◆地代(土地賃料)鑑定の今日的意義(桜井 誠三)
●3年目を迎えた「新試験制度」について考える(堀田 勝己)
●DCF法はアートな世界?(堀川 裕巳)
●積算価格をゴミ箱に捨てたとき、鑑定評価の命運は尽きる(五島 輝美)
 いずれ劣らぬ斯界の論客ばかりである。しかもいずれも刺激的なテーマを掲げている。プログレス社の提灯を持つ気はないが、田原氏、勝木氏、桜井氏、堀田氏、堀川氏の提灯は持つ気が茫猿にあるし、好き嫌いとか異論反論はさておいて、先ずは一読してみる価値があろうと思うのである。
 六氏の誰一人としてそんなことを言ってはいないが、さきの「基本的考察」論も含めて、不動産鑑定士たる者は「基準読みの基準知らず」におちいってはならないのであり、「今日の不動産の価格は、昨日の展開であり、明日を反映するものであって、常に変化の過程にある。」という至言を今一度思い起こしたいのである。

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