石見銀山に舞うこがね

 2/28・08:51山口駅発スーパーおき2号にて山陰線江津駅経由、温泉津駅に向かう。同行する気まま旅のパートナーは昨秋の南三陸旅と同じく「村山アニサン」である。 この方は十歳年上の25年来の友人であるが、日頃から万歩ウオーキングで鍛えているせいか、めっぽう健脚である。 健脚では鄙の堂守も負けていないが、時々堂守が息切れするくらいに健脚である。その彼と今回も弥次喜多気まま石見路、出雲路旅なのである。


 温泉津駅でワンマンジーゼルカーを降りた二人は徒歩で今夜の宿”温泉津温泉・ますや“に立ち寄り荷物を預けてタクシーを呼び、今日の目的地世界遺産・石見銀山に向かうのである。(温泉津温泉は誤植ではありません。温泉津”ゆのつ”温泉というれっきとした地名です。) 温泉津温泉からタクシーで約20分ほどの山あいに位置する石見銀山は、山間過疎地に位置した廃坑だからこそ今に残ったと云える江戸期産業遺産である。
 町並み地区もそれに続く銀山地区も車両通行禁止だから、徒歩で約3kmの山道を龍源寺間歩まで登り、入坑料400円を支払って入った廃坑跡は、おとなが背を屈めなければ通れないほどの狭い手掘り坑道である。 公開されている坑道は延長約300m、随所に腹這いでなければ入れない横穴が掘られている。
 手掘りの跡や数多くの狭い横穴を眺めていれば、往事の鉱山事情などがしのばれる。とはいうものの、石見銀山の見ものはこの廃坑である。 この山間まで廃坑を見るために二度行きたいとはなかなか思えない。 同行した”ムラサン”は、リピーターを増やすのは難しいだろうなと云う。 彼は駅前再開発で苦労を重ねた男だから、人を集める難しさが骨身にしみている、だから世界遺産という一過性のブームが終わったあとの石見銀山を余所事ながら案じるのである。 もちろん、現在のままでも「産業遺産・石見銀山」の価値が損なわれるわけではないが、観光立地を考えればリピーターの存在は不可欠だろうと思われる。 環境の整備は進みつつあるものの、遊歩道整備、遊歩道と並行して流れる小川の護岸擁壁を撤去して自然河川に戻すこと、周囲の林地景観整備、何よりも町並み地区に点在する朽廃家屋の整備、過疎化のくい止めなど、課題は山積している。
 それに、様々な環境整備には町場資本の取り込みが必要であろうが、それは同時に町人(まちびと)の流入を伴い、村人(むらびと)の町人(まちびと)化を招いてゆく。 廃坑や山あいの風情・人情と観光立地の両立という避けられない難題が見えてくる。 温泉津にしても銀山にしても、石見に住み石見を愛する優れたリーダーが多く現れることを願うものである。
 一番、難題と思われるのが大量の杉造林地である。遊歩道から見渡す一帯は杉植林地であり、それらが間伐もされずに多量の杉花粉を宿している。 堂守達が訪れたこの日は薄曇りの風のない日であったから、花粉飛散量は多くはないと見たが、試しに杉枝を揺すってみたら、黄色の霧が辺りに漂うのである。 風のある日であればたいへんなことだろうなと思われる。 都会の人は杉と桧の区別を知らないだろうし、山道だから頭上を見上げることなく黙々と足を運んでいるから気付かないが、頭の上に張り出した枝には黄色の花粉満載なのである。 銀山一帯の杉をカエデやケヤキ・ナラなどの落葉樹に植え替えるには長い年月を要するだろうし、春先に訪れる観光客の花粉症対策は難事だなと思われる。
 温泉津温泉には旅館内湯もあるが、元湯と薬師湯という外湯もある。 元湯は湯温47度前後、とても5分以上は入っていられない熱い湯である。 それに比べて薬師湯は43度前後とぬるくて、ゆっくりと入れる。 地元の人は銭湯代わりに(入浴料300円)使っているが、聞けば元湯派と薬師湯派にはっきりと分かれているそうである。”ぬるくって入ってられない”という派と”あんな熱い湯に入れない”という二派に分かれているようで、それぞれが湯道具を預けておいて早朝五時から湯に通うようである。 堂守達弥次喜多も地の衆にまじって「茹で蛸」になったのであるが、双方の湯に入り、地訛りの会話を聞きながら、それほど広くない湯船につかり、湯槽にこびり付いた湯ノ花の模様を眺めていれば、気儘旅極まれりの心境である。
《お断り》
 実は銀山や元湯・薬師湯など大量の写真を撮影したのですが、CFの調子が悪くて、前半の写真は残念なことに全てエラーになりました。1GBメモリーの使い方を考えないといけないようです。

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