青い果実

 茅屋の沙羅は既に花の盛りを終えて、青い実を着けている。 沙羅は夏椿の別名だから、この青い実も椿油の原料になるのかもしれない。 沙羅の隣にあるカボスも早や小さな実を着けている。
毎度のことながら、月日の巡る速さと、巡る歳毎に己が務めを着実に果たして行く生き物たちの凄さを思い知らされる。 花と云えば稲の花を一、二度は見た記憶があるが、近年には記憶がない、まして写真もない。今年の初秋(晩夏)には稲の花を撮ってみたいと思っている。 陋屋の周りは水田に囲まれているから、秋の兆しが見える頃に朝早く畦道歩きをすれば、朝露に光る稲の花に出会え、必ず佳い写真が撮れることだろうと思っている。


 今朝の沙羅、花は数少なくなったが、花のあとには青い実が見えます。
  
 同じように、青い実を着けているカボスです。この実が大きくなる頃にはサンマの季節です。サンマを藪の枯れ枝で焼いて、カボスを目一杯絞れば、ほろ苦く酸っぱい秋がやってきます。
  
 ところで、青い果実といえば、競売ネットワークから「競売評価運用基準:最終案」なるものが、各地裁管内競売評価人研究会に提示されている。 最終案と謳われているが、校正も未了のようだし、推敲も未だの感じがする基準案(青案)である。
 競売ネットワーク関係者のご尽力を思えば、緑寿の茫猿ごときが軽々にもの申すことは避けたいが、それでも如何かなと思われる点があるから、備忘的に一、二記しておきます。
1.運用基準の構成と論旨について
 運用基準は執行裁判所の内部基準に留まるものではなく、「競売評価人が遵守する運用基準」として社会に広く公開を予定するものである。であればこそ、公開を前提とする一貫した基準構成並びに論旨が求められると考える。用語についても同様であろうと考える。その趣旨を踏まえて規準構成、論旨、用語統一等について推敲を重ねるべきものであろうと考える。
2.総論
 総論には格調の高さを求めるものである。 競売評価が社会(執行事件)に占める位置付け、その意義といったものを述べ、更に評価人の競売評価における社会的使命についても述べるべきであろう。次いで評価に際しては不動産鑑定評価基準を背景とするものであり、各論並びに留意事項に記載する競売固有の事情(法58条2項後段)を考慮する評価であると結ぶべきではなかろうかと考える。
 競売評価の根源的存在意義が何処にあるのかと考えてみれば、債権者、債務者、落札買受人のいずれにも偏しない(不利益を与えない)適正かつ的確な価格の在り処を示すことにあろう。 そして、評価過程で知り得た当該評価対象不動産に係わる様々な情報を市場に提示することにあると考える。 特にノンリコースローンが普及していない日本の通常の債権では担保不動産がどのような価格で売れるかが、債務者、保証人に大きな影響を与えることであろうから、競売評価の存在意義は大きいのである。
 さらに、物件調査が目視可能な部分に限定され、物件に関する情報提供の内容も民事執行法58条4項に定める場合を除いて公開された資料に基づくものであるという、別の観点から指摘される現況主義に基づく競売評価固有の(限界)事情が存在することも明記しておきたいものである。
3.競売指定評価人について(以下、評価人と称する。)
 競売指定評価人について、某裁判所の選任基準は、「35歳以上65歳未満の不動産鑑定士」と、明確に規定している。多分、全国の執行裁判所においても類似の事情であろうと考えられる。 いずれにしても、全国各地における現在の評価人(候補)は、不動産鑑定士をもって任命されるのが通例であろうと考えられる。
 つまり、事実上という意味で、評価人である前に不動産鑑定士であるという事実が存在する。不動産鑑定評価と競売評価(民事執行法58条に規定する評価)とは同じではないと言い切れるが、同時に法58条2項に規定する評価と不動産鑑定評価基準が規定する評価と大きな差異があるとは考えられないし、考えるべきでもない。
 もちろん法58条2項後段に規定する「この場合において、評価人は、強制競売の手続において不動産の売却を実施するための評価であることを考慮しなければならない。」という事項こそが、競売固有の事情を考慮することを義務づけているものである。
 何を申したいかと云えば、不動産鑑定士である評価人は、不動産鑑定評価基準に準拠して評価行為を行うものであり、次いで競売固有の事情を考慮することにより、法58条が求めている評価を完結するものであるという基本理念を明確にすべきであろう。さもなくば、競売評価人と不動産鑑定士は全く別個のものという誤解を社会に与えかねないし、更地価格評価において公示価格等から規準する価格から出発することも正しく理解されないであろう。
4.その他
 各論や留意事項についても述べたいことはあるが、ここでは止めておきます。
茫猿は短期間に、あそこまでまとめられた関係者の労苦に敬意を表すものです。
同時に、ことは競売評価人である不動産鑑定士が社会に初めて公開する評価(運用)基準であり、社会に対して競売評価人が自らの立つ位置やその理念を明らかにする評価基準であることも御考量いただき、今一度の御推敲を願うものです。
 その昔、まだ不動産鑑定士になって間がない「青き茫猿」が、旧競売法下における評価人に指名された時、先輩の鑑定士は支部・評価人の一名を除いて茫猿一人でした。 他の評価人の方は不動産市場精通者として選任された方ばかりでした。
 縦書き右綴じB5数枚の直筆評価書が大半というか全てのときに、B5横書きタイプ打ち、価格試算の概略経緯を記し、物件所在地図、物件図面、写真を付属した左綴じ評価書を提出しました。作成提出者名には、住所氏名の他に不動産鑑定士という肩書きも記載していたと記憶します。 そうしたら、思わぬクレームを頂戴しました。 書き過ぎるというのです。カラー写真を貼付しておりましたのも余計なことと言われました。 でもその時に、青く生意気盛りの茫猿はこのようにお答えしたのをかすかに記憶しております。
 「申し訳ございませんが、私は不動産鑑定士です。 仰有ることはよく判りますが、不動産鑑定士かつ評価人である私は、そのような書類は提出できません。」 当時から評価人である前に不動産鑑定士であるという矜持を大切にしようと考えておりました。 その後は仲間の鑑定士が次第に増え、競売法から民事執行法に変わり、今に至っています。 三十有余年を経て茫猿の指定評価人身分の残期間は僅かとなりましたが、史上初めて競売評価基準を世に問うという時期に遭遇して思うことは、「競売評価人である前に不動産鑑定士」という一事です。
 このエントリー掲載に際して「不動産鑑定士:小谷芳正氏」の「司法競売における評価人の職務と競売制度」(2008年4月28日)と題する論文を参考にさせて頂きました。 小谷氏は「4.司法競売への信頼」と題する章で、『シンプルで安定した信頼性の高い市場へは個人、法人を問わず誰もが入札しやすくなるので司法競売市場の活性化を促進し、最高価での売却が実現し、価格紛争はほとんどみられない。このような司法競売のシステムは、競売の目的である債権の極大回収を実現し、売却価格の紛争を防止し、その結果、適正、迅速な処理に寄与貢献している。』と述べておられます。 社会に信頼される司法競売の確立・向上に、不動産鑑定士(競売評価人)はその一翼を担っているのだという気概に満ちた論文と拝読しました。
【いつもの蛇足である。】
 基準原案中にこのような記述がある。
《市場誠意修正前の価格について、市場分析を行って・・(中略)・・修正する。》
単なる誤植であろうと推量できるが、でも何やら言い得て妙という感じも受けるのである。 市場の誠意に期待できないから修正を施すのか、あり得べき市場の誠意を期待すべく修正するのか、いずれにしても昨今の経済合理性や効率一辺倒の市場を思えば、単なる誤植には思えず、評価人の誠意に期待する起案者の心情が指先に溢れてタイプさせたとのではと、思わされる『誠意』である。

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