あき真っ盛り

 今日は美濃路、郡上路を行きつ戻りつしながら秋を満喫しました。 空蒼く、雲白く、花は目に鮮やかで、稔りの黄金色は輝き、仕事の合間に秋を楽しむのか、秋の合間に仕事にいそしむのか判らない一日でしたが、それもこれも緑寿を過ぎ、半ばは隠居の身へのご褒美なのだと楽しみました。
 昨日、地価公示分科会のあとで、今回から引退された先輩氏をしのんで同輩氏と語っていたときのこと、やはり老兵は死なず消え去るのみなのだなぁと、互いに互いを労りつつ述懐したのですが、どっこい消え去るだけではないぞ、新しい道を目指すのだと思い直したことです。


 仕事の現場写真を撮りながら歩いていると、嚢中の携帯が鳴ります。 見慣れぬ番号だなと思いつつ出ますと、「ヒサシブリィ、鳥取の何某ヤァ、来月に法人会・全国大会がソッチであるから岐阜へ行く、ついては二次会の設営を頼みたいのだが。」とのことです。 五十半ばくらいまでは、たまに呑んだり遠征ゴルフをしたりという付き合いがあったのですが、この十年以上は年賀状以外の付き合いが絶えていた学生時代の悪友からの電話です。
 彼もトシを取ったし何かと忙しかろうしと、我が身の無沙汰を棚に上げて思い遣っていた(今や)老友からの嬉しい電話です。 岐阜へ行くからには、アイツに二次会の設営を頼もうと考えてくれた、彼の遠慮の無さというか疎意の無さがとても嬉しくて、今日一日弾むような思いで過ごしました。 何よりも「友遠方より来たる、また楽しからずや、盃を揚げ、また一杯、そしてまた一杯」なのです。
 そんな時に、足許をふと見ますと、多分自生のラッキョウの花でしょうが、そこに蝶が羽を休めているのです。 秋が早い奥美濃のこと、残る陽射しを精一杯受けとめているのでしょう。
 
 我が家の周りでは、やっと花が咲いたという稲も、ここ郡上白鳥六之里ではもう稔りの季節です。 手前が稲、奥がアワです。 アワは稲の倍近くの背丈があります。粟餅にでもなるのでしょうか。
 
 黄金の稲田を背景にすると秋桜が映えます。 この一枚のためにシャッターを何回押したことやら、デジカメならではです。
 
 休耕田のコスモスも今が盛りのようです。
 
 棚田では六之里・棚田虹色プロジェクトが見頃でした。 地元の人達が山里を守る試みの一つとして「田圃に絵を描いてみよう。」、「子ども達に農業に親しんでもらおう。」と始めた、稲を使った田圃のお絵かきです。画面左手に色が変わって見える稲田がその虹色アートです。
 
 今朝、陋屋を出るときの空は、言うことのない秋空でした。
 
 離れの前の小川から照り返すブラインド越しの木漏れ日が、天井のクロス(無地)に、これも絵を描いていてくれました。 丸いのは照明器具です。
 
 ブラインド越しに眺めた、その小川です。 見慣れた何の変哲もないよどんだ小川でも、こうして撮してみると、何やらゆかしい名流に見えてはきませんかねぇ。
 

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