鑑定士の不幸

茫猿はこのサイト開設の当初から「鑑定士は不幸な生い立ちを背負う」と言い続けてきた。 この不幸な生い立ちというのは、もちろん逆説的表現である。 世間の他の資格者から眺めれば世にもうらやむ、ねたましいほどの幸せであるが、それ故の不幸を背負っているというのである。 最も不幸なのは、鑑定士自身がそれに気づいていないか、気づいていても正しく対応しないと云うことにある。 これも”疚しき沈黙”と云えばいえようことなのである。


このサイトには鑑定士の不幸について述べる、幾つかの過去記事がある。
鑑定士の勘違い二つ (1999年3月20日 ) 」
鑑定業界の変革 (1999年3月24日 )」
世代間格差と問題意識 (1999年3月29日 ) 」
アピール(2000年2月25日 ) 」
国土交通省、鑑定協会、鑑定士(2002年6月 7日 ) 」
遠吠え書生論(ある往復E.Mail) (2006年8月 5日) 」
所管庁に庇護されてきた故に、制度的に成功が約束されていた故の不幸というものが存在するのです。 それは自助努力を必要としなかった、というよりも下手な自助努力は地価政策や不動産政策目的の前には無用であり、時に邪魔となったということである。
だから鑑定業界はその目線を専ら霞ヶ関に向け、ときに永田町や虎ノ門界隈に目配りしておればよかったのであり、自らが市民と向かい合う姿勢や事業を考える必要の無かったという不幸を云うのである。 その残滓は今も見られるのであり、何かというと「義務鑑定を増やそう。」とか、「鑑定評価活用のために法整備を求めよう。」とか、「地価公示等の地点増強、報酬増額要求。」といった事象に現れている。
茫猿はそういった動きの総てを否定するものではない。 ないけれどしかし、今や市民と向き合い、市井に存在する需要を発掘し、その需要に応える事業を興さなければならないと考えるのである。 それは「言うは易しく、行うは難し。」といえることである。 でもどんなに難しくとも、その方向に向かって着実な一歩を踏み出さなければならないのであり、今ならばそのような活動を行う余力も気力も失われてはいないと考える。
茫猿がこの数年来提唱する「ネットワーク形成」も「地理情報活用能力の醸成」も、そういった新しい鑑定評価事業を興す上で欠かせないインフラストラクチャー(基盤)であると考えるからである。 鑑定評価の基盤整備を行って、情報を共有し、有益情報を社会に発信するところから、新規事業も鑑定評価の将来像も描けるものと考えているからである。
基盤整備事業は目に見えて明日からの鑑定評価需要を喚起するものではない。 迂遠な努力に見えるであろうが、すべからく裾野を拡大することは重要なのであり、情報基盤の裾野を拡大し充実することから、鑑定評価や関連業際業務の需要という裾野が拡大し充実してゆくと考えるのである。 このサイトの過去Logを見ても、いつも馬鹿の一つ覚えのような記事が多いと、内心忸怩たる思いがする。 でもだからといって、語ることを止めれば、これもまた、やましき沈黙なのであろうと思うのである。

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