失語症日本

 先日のこと某駅のエスカレータに乗っていたところ、後ろから掻き分けて追い越してゆく中年男性がいた。 後ろ姿しか見ていないから確かな年齢は判らないけれど、多分六十歳前後と思われる。 無言で肩にかけているバッグをこちらの身体に押し当てながら無言で昇ってゆくのである。 その後どうするのかと見てたら、結局前が塞がっているから茫猿を掻き分けた数段先だけで終わりである。


 某日某所、エレベータに乗っていたら、茫猿の前に初老の男性の手が伸びてきて、これも無言でこちらの身体に少し触れながら目的階ボタンを押すのである。 これも某所で歩道をゆっくりと歩いていたら、多分ウオーキング中であろう男性が声もかけずにこちらの身体すれすれに追い抜いてゆくのである。
 もっと凄かったのは、某スーパーのレジで小銭入れから端数の※十※円を取り出すのに少し手間取っていたら、レジの彼(多分二十?歳)の右手がレジスターの角を指先で叩いているのである。 どうやら私のゆっくりした動作がお気に召さずにイライラしてたらしい。 別に後ろがつかえているわけでもないのに何を苛ついているのだろうと不思議である。 仕方ないから、「ご免ね、年取ると何事も鈍くなってね。 小銭がよく見えないのよ。」と言ったら、少し赤い顔をしたけど無言のままだった。
 どうやら日本人は失語症に罹ったらしい、それも些か重症のようである。 「御免」とか「失礼」とひと声かけてくれれば、こちらも道をよけてあげるし、何より気分がよい。 エレベータだって「失礼、・・階をお願い。」といってくれれば、押してあげるのにと思う。 無言で横から手が突き出てくるのよりは、ずっと気分が良いのである。 できるだけこちらから「何階ですか?」と声カケを心がけてはいるが、考え事をしてたりすれば声カケもできないし、声をかける間もなく手が伸びてくることの方が多い。
 エレベータの場合は、たまたま操作盤の前に立ったら、「何階ですか?」と、ひと言かけるようにしている。 その方が気持ちよいもの。 エレベータはドアの閉まり際に飛び込んでくる人がたまにいるから、「閉」ボタンは基本的に押さないようにしている。何秒か急いだって大して変わらないと思うからである。 そうすると脇から手を伸ばして「閉」ボタンを押す人もたまにはいる。
 実に様々な場面で、無言を押し通す人が多くなったように思われる。 いつから日本人は失語症になってしまったのだろうと思うのである。 しかも幼児や児童ならともかく、いい年をしたオトナに重症の失語症が多い。 かと思えば中年以降の女性はグループの時にとても騒々しい、傍若無人と評しても良いくらいに騒々しいのである。
 海外での朝、見知らぬ外国人の挨拶がとても嬉しいし、気持ちよい。 エレベータでも階段でも庭先でも笑顔と一緒に「モーニン」とか「スラマッ パギ」とか、「 ボンジュー」とか「サワディーカ」と声をかけられる。 とうぜんに、こちとらだって「オハヨー」と返すのであるが、少なくない日本人は声を掛けてこないし、声をかけても返ってこない。
 都会では先ずみかけないけれど、田舎少なくとも茫猿の住むところ以上の田舎では通学途中の小学生が「オハヨーゴザイマス」とか「コンニチハ」と声をかけてくれる。 こちらだって彼等彼女等に負けない大声で「オハヨー」とか「オカエリ」と声をかけるのである。 オトナだって鄙になればなるほど、挨拶をいただいたり、会釈を頂いたりする。
 忙しい都会では無理だろうし、行き交う人に声をかけていたら人が多すぎるから歩けなくなるだろうと思う。 冒頭のエスカレータのオジサンだっていつのも通勤スタイルが出ただけかもしれない。 混雑する朝の駅で人を掻き分けカキワケテ通勤しているのが習い性として身に付いてしまったのだろうと思われる。
 話は違うのかも知れないが、「以心伝心」とか「沈黙は金」という習い性が身に付きすぎているのではと思わされる。 多弁は鉛というが、グローバル化などと云わなくとも、日本人同士だってかつての村社会に生活しているのではない。 生い立ちも仕事も生活環境も随分と多様になっているのだから、互いが考えていること、思っていること、望むこと望まないことを伝えるべきであろうし、上手く伝えてゆくトレーニングを積むべきであろうと思う。 
 表現力や伝搬力が弱いから、思うことを伝えられずに、「我と我が身にイラツイテ、キレル。」 仕方ないから陰でブツクサ言うか、キレテしまう。 そんな悪循環に陥っているように思えてならない。 山道で手を振ったり声をかけたりなどということ以外にも「江戸仕草」という素晴らしいマナーも日本にはかつて存在したのである。
 江戸仕草(思草とも云う)とは傘を差して行き違うときには、互いに傘を道端側に傾けて傘がぶつからないようにする仕草などを云うのである。 江戸仕草には「傘かしげ」の他にも、肩を斜めにしてすれ違う「肩引き」、待ち合わせ時間に遅れて相手の時間を無にする「時泥棒」、道を歩くときは少し端によける「七三の道」など、多くの互いに譲り合う思案仕草がある。
 若者のマナー違反や不足を言い立てる前に、オトナ達が身をもって教え示すことが大切だと思うのだが、オトナ達やロージン達のマナー違反、エチケット不足が目に余るのである。 なにも気取れと云うのではない、少しでも洗練された仕草、もの言い、立ち居振る舞いを心がけようと云うのである。 エレベーターの前で上司には先を譲っても、年配者や女性には気付こうともしないような振る舞いが目に余るのである。

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