四季茫猿

 道元禅師の著した書物に『典座教訓』という一書があり、其処には「衆僧を供養す、ゆえに典座あり」と記されている。 いわば、炊事をはじめとする日々の家事を倦むことなく務めてゆくところに修行ありと言い換えられようか。(典座とは、禅堂にて修行僧の食事を整える役をいう)
 典座教訓には幾つかの教えが記されていますが、なかで三つの心を示しています。
 「喜心(きしん)」 作る喜び、もてなす喜びの心で作る。
 「老心(ろうしん)」 相手の立場を想って懇切丁寧な心で作る。
 「大心(だいしん)」 とらわれやかたよりを捨て、深く大きな心で作る。
 日々の炊事務めを、憂きもの、辛きものとして行うのと、喜心、老心、大心の気持ちをもって務めるのとでは、後々に大きな違いを得られるものと思います。 何よりもただいまの日々の務めが楽しくなります。 


 この初夏に生まれた亡弟の孫に雛人形を買い求めました。まだ販売展示が始まったばかりなので、品数も多く、こちらの希望に応じた人形の組み替えも可能でしたから、孫娘の母(茫猿からは姪)も、満足ゆく買い物でした。
 
 庭の公孫樹も、紅葉も雨上がりの快晴のなか、彩りを増しています。
 
 
 新しいカテゴリー「四季茫猿」を追加します。 典座を気どり、晴耕し、雨読はままならずの日々、四季折々に目にとまる我が宿の景色をつづってゆこうと考えています。茫猿の遠吠は今やほどほどに、不動産鑑定評価についても多くを語ることは控えようと考えています。 シキを変換したら四季の前に死期が出ました。 常住坐臥、死期を考えるということは今生きると云うこと、生かされていると云うことを考えることに他ならないと思います。

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