造反の勧め

 正月早々、造反の勧めとは穏やかでないが、中堅若手の鑑定士に今年こそは造反を勧めたい。 現行制度に対して、なにも闇雲に反対論を唱えろというのではない、まずは疑ってみることを勧めるのである。
 暮れに我が鄙庵を訪れたA君がこんな疑問を口にしていたのである。「地価公示評価書が公開されるのであれば、評価書のなかに詳しく事実を語ることが難しくなります。 妙な言いがかりを避けるためにも、守秘義務との兼ね合いからも、我々は無難な表現を求めてゆかざるを得ません。 評価書公開は口を閉ざし事勿れへと向かわざるを得ません。」というのである。


 昨年末にWikiLeaks(ウィキリークス)が話題になった。其処に述べられていることが全て真実とは限らないが、守秘が保証されているが故に心おきなくあるがままを、己の思うがままを述べていると云えよう。公開が前提であれば、当然のことながら自己規制が働く、彼はそのことを云うのである。 地価公示評価書の公開は情報開示という大原則に近づくと同時に、公開を前提とする精度向上をも求めているのであろう。 しかし、いたずらな公開は角を矯めて牛を殺すと彼は懸念するのである。
 採用事例の詳細について語ることは守秘義務に抵触しかねないし、評価額決定について具体的かつ詳細に述べれば分科会討議に離反する場合や同僚評価員の見解と齟齬を招く場合もあるだろうから、物議を醸し出しかねないと云うのである。そういった懸念を考えれば無難にときに紋切り型にならざるを得ないと云うのである。
 もっともな話である。至極尤もであると思う。 でも軋轢を怖れていては何も変わらないし何も生み出されないと考えるのである。 言うは易く行うは難しであろうと考える。でも無難のみを求めて殻に閉じこもってゆくのであれば、何の変化ももたらさないと考えるのである。
 不動産の鑑定評価が、不動産の価格に関する専門家の判断であり、意見であるとするのであれば、自らの判断や意見を忌憚無く表現することから始まらねばならない。それが物議を招きかねない意見であったとしても、先ずはそこからスタートしなければ何も生み出されないと考えるのである。
 このように云えば、現役を引退したロートルの無責任な放言と聞こえるであろうが、でも考えてみてほしい。 分科会をはじめ周囲の意見や定説をただ受け入れることに終始していてはならないと云うのである。先ず疑い、自分の判断を求めてみることからスタートしようと云うのである。己の判断を押し通すだけであれば、それはただの頑迷固陋にしか過ぎない。 だけど問題提起を心懸け、より高みと深みのある判断へ到達しようとする姿勢は、決して非難されるものではなかろうと考えるのである。
 パソコン時代にふさわしい数値比準表の採用を願って、あるいはデータ解析の必要性について、茫猿は幾つかの提言を繰り返してきたけれど、実りがあったとは思えない。 それは茫猿の拙さに帰因するところが全てであろうが、それでも現状を変えたがらない、リスクを取ろうとしない多くの同僚達の姿勢にもなにがしかの原因があったと思っている。
 新スキームと称されている取引価格悉皆調査が始まって既に数年を経過した。既に蓄積された膨大なデータを解析して参照資料に用いようと提唱しても、出てくる意見は否定的なものばかりである。 曰く、データ量の少なさ、データの偏在、解析手法の拙さ、手間暇の割に得るものの乏しさなどなどである。 とにもかくにも着手してみる、その上で足らざる処を補ってゆき、しだいに完成度を高めてゆくという考え方を採用してもらえなかったのである。 手慰みに等しい試行結果を公開しても、得られる反応は否定的あるいは消極的なものばかりであり、ついぞ前向きな感想は得られなかった。
 そんななかで、岐阜県鑑定士協会が昨年四月から始めた「岐阜県不動産市況DI調査」は身内のことながら出色の事業である。4月度調査が7月に士協会サイトに公表され、次いで10月調査が実施されたと聞いているが、しかしながらまだ未公表である。集計結果をとりまとめるのに手間暇が掛かっているのであろうと推察される状況は理解できるが、この手の調査は即時性が優先されなければならないと考えるから、せめて速報値だけでも速やかな公表が待たれるのである。(01/13、10月調査が公表されました。)
 その集計結果が、現在進行中の地価公示試算結果とのあいだに齟齬が認められたとしても、それは構うこと無いのである。それはそれ、あれはあれと云えば無責任に聞こえるかもしれないが、鑑定評価とアンケート調査が必ずしも一致する必要はないし、一致するのであれば鑑定評価不要論につながりかねないと考えれば、両者はそれぞれに意味あるものだと考えるのである。 両者に異同が認められれば、その異同の来る所以を探るのもまた鑑定評価であろうと考えるのである。
 我田引水的な話になるが、ReaMapについても悉皆調査結果を利用するCSVファイルから事例地の緯度経度位置を特定し、属性データを自動取得して当面の事例資料作りに反映させるだけでなく、それらのデータを駆使した解析を行い得る状況が実現しつつある。 アートと云われる鑑定評価がサイエンスと称されるデータ解析というツールを手に出来る状況が目前なのである。《様々な個人的事情から記事にする余裕が今は無いので、この項については、日を改めて記事にします。》
 デフレ時代に生きる鑑定士には何が求められるのか。 ネットワークはインフラなのだと理解する時に、デジタル化とは、地理情報とは何をもたらすのか考えてみたいのである。 過去の成功体験を追いかけていては何も見えないし、既得権を守る姿勢からは何も生まれないのである。 とにかくやってみる、なにごとであれ情報開示を恐れない、全てを公開して、批判に耐える勇気が求められる。 過去の年代を批判し既存の秩序に造反し乗り越えてゆき、社会との接点をさらに増やしてゆく。 鑑定評価の既存ユーザーだけでなく、新しいユーザーを発掘してゆきたいと考えるのである。
 まだまだ恵まれている今の業務環境があるあいだに、次の一手を一人ひとりが探すことから明日は始まると考えているのである。 だから、若者よ造反せよ、少なくとも疑えと云うのである。
 雪が降り風が冷たかった暮れに比べて鄙の正月はおだやかである。茅屋の裏の畑からは白銀色に光る伊吹がくっきりと望める。

 野草に降りた霜に朝陽が光っている。

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