復興と復旧

被災地の現場をこの目で見て考えたこと、考えさせられたことは、実に多くのものがありますが、それを直ちに記事にするのはためらわれます。あまりにも多く、複雑だからですが、同時に考えたまま感じたままを記事にする危うさも思うからです。
でも、今記事にしておかねばならないこともあると考えて、順不動で書き連ねます。


1.復興と復旧
報道では旧態に復旧するのではなく、新たな創造的復興をなどと云われています。
しかし、四十九日を迎えたばかりの現地、瓦礫処理も進まず避難所暮らしが続く現地に立てば、創造的復興などというのは東京発信の話であり、先ずは3.11まで続いてきた生活の復旧であろうと思います。

今回、被災地を訪ねるに際して、地元社協を通じて被災地社協に希望される物資の問い合わせを致しました。 いただいた回答は予想もしないものであり、最初に目にした時は思わず(不謹慎はお詫びしますが)笑ってしまったほどです。

塩、コショウ、片栗粉、パン粉、だしの素、マヨネーズ、とうがらし(七味、一味)、生卵、料理酒、みがき砂、ゴキブリ獲り、ネズミ獲り、蚊取り線香、スプレー殺虫剤、100円ライター 《このリストは筆者が4.21にいただいたものであり、現在は違っていると思います。 またそれぞれの被災地でも状況は千差万別であろうと思われますから。一様ではありません。》

どの家にも台所の片隅にあるものばかりです。 食材は届いても調味料が無い現状をまざまざと示している物品ばかりです。思わず笑ったのは私ばかりではありません。「ウーン」、「ナルホドナー」、「思いもよらんかった」、リストを見た人は皆が似たような感想を漏らしました。

現地からはこんな声ももらいました。 「ゆで卵には、もう飽き飽きです。ラーメンに卵を入れたい。 御飯に卵をかけたい。」 まだまだ非常時が続いていますが、飢餓的空腹状態を脱した今は、暖かいもの柔らかいもの日常的食事が求められています。

仮設住宅にあっても、日常生活だけは3.11以前に近づきたいというのが、当たり前の当然な要求であろうと思います。 学校に通い、職場に通い、学びたい働きたい、家族団らんを楽しみたい、我々が日々意識することすらなく送っている日常の生活を取り戻したいという、被災者の声を大事にすべき時期なのだと思います。

四十九日(法要)は無理でも、無為に過ごしても、百ヵ日(法要)にはお盆には、という遺族並びに関係者の思いに応えてあげられる支援策であり、政府をはじめとする我々日本人の心情でありたいと思います。 それが茫猿のいう復旧なのです。復興はそれからのことです。 行方不明者の捜索に区切りがつき、死者の霊を慰め遺族の心にそれなりの区切りがつかねば、新しい前進は始められないであろうと思います。

2.被災地支援の職員派遣
自衛隊、警察は自己完結型組織であり、それぞれがチーム派遣です。 自衛隊は前線派遣と同様に、現地の活動場所に野営地を設置して活動されています。 支援ボランテイアも自己完結が原則で、飲料・食料、睡眠場所も自己責任です。チーム行動が原則であり、単身応募者も応募出発地においてチーム編成されるのが通例です。

少し違うのが、自治体等から派遣されている支援職員の方々です。各自治体も職員数にそれほど余裕がある訳ではないですから、都道府県単位あるいは地域単位で職能別に必要な職員を編成して派遣しています。 介護スタッフ、事務支援スタッフの皆さんは週間あるいは旬間程度の交替派遣ですが、慣れないというより始めて体験する非日常的生活を送りながら支援活動に従事されています。

しかも、派遣自治体等の名前を背中に負い、派遣チームの潤滑に気を遣い、もちろんのこと被災者に優しくあろうと努力されています。 モティベーションはとても高いのですが、高いがゆえに精神的肉体的疲労も大きいものがあろうと推察されます。

垣間見た状況から全体を推し量ることは避けたいのですが、東京(政府)発信、都道府県庁発信の縦割り行政の狭間にいるのが、最前線にいる支援派遣職員の皆さんであろうと容易に推察できます。

別の表現をすれば、縦割り行政の矛盾を、現場での水平的コミュニケーションによって補っているというのが実態に思います。カン(菅)のカン(勘・感)が彷徨っていると思うのです。 筆者は某責任者に「非日常遠隔地へ単独派遣をするなど、指揮者として間違えている。直ちに正すべきです。」と、申し入れました。 ですが、実態は難しいようです。(この件は、後日に機会があれば再記事にします。)

3.被災地訪問の礼儀
被災地に足を踏み入れるのに、その内心は「物見遊山(野次馬)」でも「追体験指向」でもよかろうと思います。 ひとの心の内まで制御することはできません。
でも被災地は瓦礫のなかに行方不明者がいるのかもしれません。 仮に遺体がなくとも、彼らの魂はまだ彷徨っているのでしょう。 少なくとも遺族・関係者の多くはそのように考えられていると察するべきでしょう。

弔問に向かうと同じ心がけが必要であろうと思います。 筆者達は作業着、土木用スパイク長靴、帽子を着用して現地に入りましたが、残念なことに数珠を忘れました。 荒涼とした被災地に向き合えば、自ずと頭(こうべ)が下がり手を合わせますが、ポケットに数珠も忍ばせていたらと思いました。

そんな不心得者はいないであろうと思いますが、被災モニュメント(陸に上がった船や、屋上に漂着した車)などの前で、記念撮影したりピースサインをしたりすることは慎むべきであろうと思います。

4.不動産鑑定士ができること
鑑定協会から、「東日本大震災における支援活動策の募集について」と題する文書が回覧されてきました。 概要は「今後の復興計画について、協会もしくは不動産鑑定士が行うべき支援の方策について提案を募る。」というものです。

特段の異議を唱える意図はありません。当然に考えなければならないことと思います。 少しだけ違和感を感じますのは、「不動産鑑定士が行うべき」という文言です。 難癖に聞こえるかもしれませんが、市民として、あるいは市民が構成する団体としてという意識を常に持っていたいと思います。 鑑定士である前に市民でありたい、結果的に不動産について専門的知識・経験を持つ市民だったということではないのかと思います。

例えば、道路、河川、砂防、都市計画など様々な公共インフラについて、評価作業を通じて多くの体験を持っているのが鑑定士です。 その好ましい望ましいあり方、現状や実態との落差、違和感など、多くの経験をしていることであろうと思います。

狭く不動産鑑定評価と捉えるのではなく、鑑定評価を求められた事業背景に潜む問題点や矛盾点について問い直す姿勢こそが必要なのであろうと思います。筆者はそのことを「鑑定士である前に市民として」と申し上げるのです。

三陸鉄道の公設民営化、自然に対抗する防潮堤の強化か共存する高台移転か、震度や津波の高さについての想定(外)条件と予算的・期間的制約をどのように調整するか、事業優先順位付け、津波被災地の復旧・復興か180度的転回を目指すのか、過疎高齢化が進む現地の状況に拍車をかけない復興策は何があるのか、集団移転の跡地を如何に活用するのか、跡地を公有地化するについて買い上げか借り上げか、等々、いずれも鑑定士目線の前に市民(鑑定士でもある)目線が前置されなければならないと思うのです。

被災者が直面する不動産関連の問題も様々であろうと思われます。 相続、担保、売買、貸借、境界、権利利益調整、すべてが一気にしかも錯綜して現れてくるであろうと予想されます。 鑑定協会単独ではなく、建築士や弁護士や税理士や司法書士など様々な職能家と連繋して、現地市町村毎に開催する定期的相談会なども考えられるでしょう。 現地に出向いての相談会開催を、被災地県士協会単独で行うのは人員的にとても無理でしょうから、隣接県をはじめ全国的に人員派遣を検討してもよいのではないかと思いますが、如何なものでしょうか。
《 今朝はここまでにします。》

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