ONLINE日経ビジネス9/11号に小田嶋隆氏論述「私も原子力について本当の事を言うぞ」と題する記事を掲載している。この記事を読むまで知らなかったことだが、遂に皆がというか関係者が本音を言い始めたと思う。でも、このことはまだ大勢にはなっていない。
多くのマスコミでは「明らかな原発擁護論」はまだ大勢とはなっていない。しかし、現実論として既存原発の再稼働は避けられないとか、新設はしばらくできないが既存原発無しに日本経済は立ちゆかないといった、現状肯定論が次第に力を得つつあると思える。野田新総理も点検が終わった原発から再稼働やむなし論を述べている。 これらの背景をあぶり出しているのが「9/7読売新聞社説」であると小田嶋氏は言うのである。
読売新聞9/7社説は「再稼働で電力不足の解消急げ」と題してこのように述べている。社説は、4つの段落に分かれていて、それぞれに小見出しが冠されている。
・再稼働で電力不足の解消急げ
・節電だけでは足りない
・新設断念は早過ぎる
・原子力技術の衰退防げ
小田嶋氏は「問題は、最後の、◆原子力技術の衰退防げ◆のパートにある。 ここで、社説子は、驚愕すべき持論を展開している。以下、この小見出しに導かれている部分を全引用する。」と言う。茫猿も「YOMIURI ONLINE」より全文引用する。
◆原子力技術の衰退防げ◆
高性能で安全な原発を今後も新設していく、という選択肢を排除すべきではない。
中国やインドなど新興国は原発の大幅な増設を計画している。日本が原発を輸出し、安全操業の技術も供与することは、原発事故のリスク低減に役立つはずだ。
日本は原子力の平和利用を通じて核拡散防止条約(NPT)体制の強化に努め、核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている。こうした現状が、外交的には、潜在的な核抑止力として機能していることも事実だ。
首相は感情的な「脱原発」ムードに流されず、原子力をめぐる世界情勢を冷静に分析して、エネルギー政策を推進すべきだ。
このくだりについて小田嶋氏はこう述べる。
ごらんの通り、読売新聞社は、『核兵器の材料になり得るプルトニウムの利用が認められている現状』が、『潜在的な核抑止力として機能している』ことを、『事実』として認定している。
驚嘆すべき主張だ。
というのも、読売新聞は、原発が核兵器である旨を半ば公認しているわけで、この事実は、何回びっくりしてみせても足りない、驚天動地の新説だからだ。
続けて、小田嶋氏はこう述べる。
「原発核兵器説」は、軍事オタクの世界では半ば外交常識として扱われる、議論の前提だった。
とはいえ、オモテの世界では、原発はあくまでも「原子力平和利用のエース」である。
クリーンでクレバーでピースフルでロハスな新時代のエネルギーである原子力発電は、あの忌まわしくも恐ろしい人類の恥辱である核兵器とは原理も目的も利用法もまったく違う夢の新技術だ、と、建前の上では、そういうことになっている。
であるからして、「プルトニウムは兵器に転用できる」だとか、「原子力技術は核兵器開発技術とイコールだ」といった「穿ち過ぎた」見方は、「軍事オタクの世迷言」として、即座にしりぞけるのが、オモテの世界の言論人の基本的な外交儀礼になっていた。
政府の人間はもちろん、お役人も、大学の先生も、新聞の論説委員も、この種の議論には乗らない。
「軍事転用? ははは。貴兄はご存知ないようですが、核兵器の製造はNPT体制の厳重な管理下にあって原理的に不可能なのですよ」
と、百万ドルの建前論をぶっつけて陰謀論を粉砕する。そうすることが、長らく、彼らにとっての、唯一の正しい対応策だった。
本来なら、この種のセリフは、新聞の社説が言ってしまって良いお話ではない。
なんとなれば、「原発核兵器論」は、「それを言ったらおしまいでしょ」的なぶっちゃけ話で、そうでなくても、著しくたしなみを欠いた議論だからだ。
それが、白昼堂々新聞の社説として配信されてきている。
時代も変われば変わるものだ。 それほど、原発推進派(もはや「潜在核兵器推進派」と呼ぶべきなのかもしれないが)は、必死だということなのだろうか。
小田嶋氏は「というわけで、せっかく読売新聞が本音を語ってくれたので、私も本当のことを言ってみることにする。」と続けるのである。
パワー以外のすべての点で、私は、原子力技術には疑念を抱いている。安全性はもちろん、コスト面でも、将来性においても、取り上げるべきメリットは見当たらない。21世紀の技術的水準から見れば、原子力は、どうにも前世紀的で、大雑把で、危険で、不明な部分の多い、未成熟な技術だと、そう考えている。
でも、パワーだけは別だ。 あの桁違いの出力と、暴力的な物理的なパワーには、どうしても魅了されてしまう。理屈ではなく。生理として。
原子力は男の世界だ。学者も作業員も推進者も官僚もほとんどすべて男ばかりの、いまどき珍しいガチムチなサークルだ。
そういう著しく男密度の高い場所では、「怖い」という言葉は、事実上封殺される。誰もその言葉を口にすることができなくなるのだ。
でなくても、一定以上の人数の男が集まると、その集団は、必ずチキンレースの原理で動くようになる。
なぜなのか、理由はよくわからない。が、経験的に、必ずそうなる。
とすると、原発を止めるための理屈は、「怖い」ではいけないことになる。
マッチョな男たちの心をとらえるもっと魅力的な理屈を誰かが発明しなければならない。
その言葉を見つけるのは、とても難しい。
この度、読売新聞社は、原子力技術の将来を案ずるあまり、うっかり本音を漏らしてしまったのだと思う。
「君らは色々言うけどさ、原発を持ってるとそれだけで周辺国を黙らせることができるんだぜ」
という、このどうにも中二病なマッチョ志向は、外務官僚や防衛省関係者が、内心で思ってはいても決して口外しない種類の、懐中の剣の如き思想だった。
が、一方において、中二病は、彼らの「切り札」でもあったわけだ。
(注)中二病(ちゅうにびょう)とは、思春期の少年少女にありがちな自意識過剰やコンプレックスから発する一部の言動傾向を小児病とからめ揶揄した俗語である。
本音で語ることは「オトナの態度でない。」、「青臭い書生論だ。」などと避けられて、建前論が横行してきた日本であるが、ついに大新聞が本音論を語り始めたとみるべきか、原発撤退論を口にする菅前総理への当てつけとして本音がこぼれたとみるべきか、筆者には判らない。 でも間違いなく言えるであろうことは原発と核兵器は決して無縁ではなく、ごく近い関係にあると云うことである。海外論調では「核保有国を除けば、群を抜いてプルトニウム保有量の多い国・日本」という論調は常識であると田中宇氏などは何年も前から述べている。
田中宇氏の、やや異なる観点から「日本も脱原発に向かう(2011.07.08)」を述べている。注目しておきたい論調である。
茫猿はこれ以上は述べない。 これ以上を語るには、茫猿の知識はあまりにも脆弱だからである。ゲンパツ村に生きる人々の全てが読売社説が述べる論理を前提にしているとは思わない。純粋な学術論や経済合理性論を信奉している人も多いのであろうと思われる。 でもゲンパツ村の背景には以上に述べたようなプルトニウム論理が脈々として存在しているのであり、だからこそ広島や長崎の被爆者達が3.11震災以来、原水爆廃止論と原発廃棄論をリンクさせる動きを見せ始めているのであろうと考える。
原子力平和利用という学術論は原子力軍事利用論とは明らかな一線を画しているように見えるが、莫大なエネルギーを一挙に放出しようというのが軍事利用論であるとすれば、そのエネルギーを制御し小出しにしようと云うのが平和利用論と云えるであろう。つまり技術論としては、平和利用の方が難しく上位に位置するのである。
原発経済合理性論は一見合理的に見えるが、廃棄費用や事故対応費用を考慮外・想定外としているという大きな矛盾を抱えている。このことは3.11大震災で明らかな破綻を見せているのである。
単純に現実を肯定しようとする論理は、原発推進論が隠し持っている本音に結果として加担することになるのだという、事実というか本音というものに気づいた議論を進めてほしいと考えるのである。 でも多くの人は「被爆国日本では、有り得ない議論」と退けるのであろう。 茫猿の廻りでも多くの同輩不動産鑑定士は似たような現実肯定論を述べるのである。 でも脱核兵器論と脱原発論は、相似の関係にあるのだと、本音的に云えば双子の兄弟なのだという意識を持ちたいものである。
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鄙からの発信、毎回読んでいます。
鑑定業界に対する鋭い分析と先進的で
具体的な提言を続けている姿勢に敬意を表します。
9月11日付の「原発の本音」についての記事
興味深く読ませてもらいました。
自立した国家・国民として、
当然自覚しなければならない防衛問題、核戦力について、
避けてきたツケはどこかで払わなければならない問題だと考えます。
読売の社説も、問題提起をして、
本音の議論をしようという意味で、
積極面を評価します。
建前論ばかりが横行する我が国で、
しっかりとした基盤に立って、
本音の議論が多くの分野で求められていると感じます。
福島在住 高橋 雄三
追伸
本音言三のペンネームで下記のコラムを書き続けています。
ご笑覧下さい。
http://takakan.blog.shinobi.jp/