RE-ABC §3(びわ湖の蝶)

びわ湖会議当日のスケジュールにしたがって、茫猿の備忘録を記事にしようかと考えましたが、備忘とはいっても、録画録音はしていませんしメモの量も僅かですから、曖昧な記憶頼りは間違いのもとです。 また折角のプレゼンや分科会討議の内容について、時に批判がましく受け取られかねないことを記すのも憚られます。 会議全般については、近いうちに公式報告書が刊行されることでしょうから、『鄙からの発信』は茫猿の記憶に残った幾つかの事柄について記事にします。  びわ湖会議全日のスケジュール概要は、こちら(120620kiboh)である。

一、入札の蔓延
パネル提言でも、分科会討議でも多く話題になったのは入札の蔓延問題でした。 そもそも鑑定評価の発注に入札は馴染まないし、廉価入札の横行は粗悪な評価書を生む土壌でもあるというのが、共通する御意見のように伺いました。
官公需において入札等が採用されるのは、発注の透明化や合理化を求める社会の要請に応えようとするものであり、一概に官公庁だけが責められるものでもなかろうと茫猿は考えます。 入札の問題点の多くは鑑定業者側にあり、採算割れする廉価入札の横行、粗悪な評価書を防げない仕様書について(組織として)異議申し立てを怠っていること、価格競争に走りクオリティコンペを求めようとしない鑑定業者並びに士協会等組織などが指摘出来ようと考えます。 評価書の開示やモニタリングあるいはレビューを行うことなども考えなければならない時機にあろうと思います。

二、士協会活動の沈滞
士協会活動が沈滞し役員のなり手が現れないことや、士協会活動に関心を示さない会員が増えていることを憂う発言が多くありました。 鑑定需要が減衰すれば業界活動に時間を割く余裕が無くなるのは至極当然のことでもあろうと思われます。 であれば、順送り人事を廃して思い切った若返りを図るのも一手かもしれません。 公的土地評価の世界はゼロサムの世界でもあり、不満が多い若手にその解決策を委ねてしまうのも良いのかもしれません。 志ある一部の会員のボランテイア精神に依存しているよりは、いっそのこと行き着くところまでいってみるという逆療法もあるかもしれないなどと、無責任にも考えました。

いずれにしろ、いつの時代だって、どのような社会だって無関心者は少なくないのであり、無関心層も会費納付者には変わりなく、口を挟まない事業資金提供者と割り切ってしまうのも一つの考え方なのかと思っています。 ヒツジたちに水辺の在処を示すことはできても、水を飲ませることはできないと思い切ってしまうのも手でしょうが、無関心層ほど文句だけは一人前に垂れるというのも困ったことです。

三、公的土地評価の一元化について
地価公示を頂点とするピラミッド構造として公的土地評価一元化問題をお考えの方が多いのが気になりました。 公的土地評価の一元化とは、相続税路線価網や固定資産税路線価網を地価公示や地価調査が支えてゆくということだと茫猿は考えます。 一般的に鑑定士が関与する相続税路線価や固定資産税路線価(市街地以外では路線価非敷設地域もある)とは、それら路線価網の主要結節点の評価(相評及び固評の標準地評価)を指します。公示価格等が結節点を形成する場合もあります。 それら標準地評価は公示価格等からの規準結果でもあり、一致するのが原則ですが稀に一致しない地点もあると云われます。 規順結果という意味からは公示価格等が上位性をもちますが、実態的には路線価網(ネット)が公表されるネットとしての優位性を示す場合もあるのです。 一元化とは公的土地評価格のヒエラルキー(段階的組織構造)を云うものではなく、ネットと支柱の一元化を指すものであろうと考えます。

四、連合会執行部への疑問
連合会執行部は旧陸軍参謀本部に似ていると思う時があります。
小生が士協会連合会役員諸氏の少なからぬ方々を旧陸軍参謀本部になぞらえるのは、精神力の多用(何かというと倫理研修や倫理の高揚発言が多い。)、ロジスティック無視(活動に欠かせない情報網整備や、最大の兵站線である資料収集について戦略も戦術も持ち合わせていないように見える時がある。)、統合的戦略の欠如(執行部のコンセンサス形成が往々にして疑問視される場合がある。)などについて、共通項が多いからです。 これらの事象は鑑定業界だけが特殊なのではなくて、鑑定業界もまた日本社会の縮図であるというのも紛れもない実態でしょうが。

五、DI調査事業について
順次、実施士協会が拡大しつつあるDI調査は、鑑定業界にとってのみ意義有るものでなく宅建業界にとっても好ましい公益事業であると考えます。 その意味からは、宅建業界に実施主体としての名を差し上げ、鑑定業界は実務を引き受けデータ果実を得るので良かろうと考えます。
そして、DI調査の実施都道府県数が、せめて20を越えれば、ブロック紙が取り上げてくれるだろうし、そのうちには全国紙やNHKも取り上げてくれるだろうし、大都市圏域士協会も無視できなくなるだろうと考えます。 その為にも調査結果を士協会単体で公表する時期は終わり、全国士協会が横断的解析と公開を始める時期にあろうと考えます。 そして、宅建業界と鑑定業界の提携事業として社会にその存在感を示せれば良いなと考えます。

六、新スキーム情報について
取引価格収集事業は、霞ヶ関内部のみならず関連業界においても、既に利権的存在になっており、地価公示スキームのなかの収集事業から、収集事業スキームのなかでの地価公示に変貌しつつあると考えています。 小生がA案(調査結果の全面公表案、現行はB案実施)は未だ生きていると申しますのもその延長線での話です。 しかも、Webには優れた市場情報が溢れており、取引価格情報提供制度以外にレインズ情報も存在するのであり、鑑定業界がその拠り処とする不動産情報の非対称性は今や崩れつつあり過去のモノとなりつつある。

いずれにしましても、一つの制度や事業が未来永劫に続くと考えるのは錯覚であり、形式上続いているように見えても中味は大きく変質しているというのは、歴史が示す教訓と考えます。
有為転変、盛者必滅は必然であり、常に何処かでそれに備えておくべきというのも、歴史の教訓であり、危機管理の要諦と存じます。 業界は茹で蛙になりつつあるとはいえ、まだまだ公的土地評価という需要もデューデリジェンス関連の需要も存在しているのであり、それらの需要が残っているあいだに次の一手を模索すべきでしょう。

七、何かのセイにする。誰かのセイにする。
・連合会執行部は何を考えているのだろうか?
・士協会活動に無関心な会員が多いのは困ったことだ!
・所管庁の施策が悪い! 依頼者の姿勢が悪い!  等々
「何かの、誰かの セイ」を言揚げするだけに止まれば、それは批評家であり高見の見物者なのであろう。 批判的吟味は重要であろうが、同時に自分は具体的に何ができるか、何をしたいのかと考え、考え続け、提言し、一人でも二人でも同志を集め、小さくても僅かでも前へ進んでゆくことが大切だと考えている。 誰かのセイなどにせず、自ら資金と役務を提供し、リスクテイクをして「びわ湖会議」を開催された滋賀県士協会に満腔の敬意を表す所以なのである。

八、びわ湖の蝶
びわ湖会議懇親会におけるスピーチで、どなたかが「この会議はびわ湖の蝶になるでしょう。」言われた。 「びわ湖の蝶」とは「アマゾンの蝶」あるいは「北京の蝶」とも云われるバタフライ効果のことを「びわ湖の蝶」と比喩されたものである。 これは「アマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる」とか、「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」という表現もある。 これは、北京での一羽の蝶の羽ばたきというごく小さい要素であっても、ニューヨークで嵐が起きるという、気候変動に大きく影響を与える可能性があるという事象を指している。

全国から参集した150名余の会議参加者が、それぞれの地元に戻り小さくとも持続する羽ばたきを続けてゆけば、やがて業界を動かす大きな潮流となるであろうとの予言なのである。 まさにそのような意味で、2012.07.20はやがて大きくなる、大きくしなければならない「蝶の羽ばたき」の始まりなのであり、後世「びわ湖会議以前、以後」と謳われるような歴史の転換点となる希望的予感を、『鄙からの発信』はもっている。 その意味からは、一連のRE-ABC記事は『鄙からの発信』がする「鄙の蝶」の小さな羽ばたきなのである。

他にも、鑑定と評価の違い、サイエンスとアート、技能者とリベラルアーツ&フィロソフィーなどについても述べたいが、Web記事としては長くなりすぎたので、後日のこととする。 本日は此処まで。

 

 

 

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