亡き人と語れば

今は亡き人と語ることは結構楽しいものであるし、心癒されるものでもある。何を語っても死者は何も返さないから、すべてはこちらの心象風景であるけれど、彼ならばこう言うであろう彼女ならばこう応えるであろうと、記憶の底に沈む面影を辿りながら彼らに語りかけるのである。

父母は言うに及ばず、『ヨー、気張っとるなァー』などと声をかけながら、もうすぐに一周忌を迎える旧友が顔を出しそうな気がするし、叔父や叔母や弟が我が菜苑に辛口の批評をしてくれそうな気もするのです。

母が逝ってから四年、父が逝ってからでもすでに三年半が過ぎ、母屋の母の居室は客間に転じ、父の居室は畳をフローリングに変えて、ほとんど島暮らしをする家人の寝室になっているから、そこに父母を偲ぶものはなにも残されていない。

今や父を偲ぶものは、納屋に移した父の蔵書である。父の蔵書の多くは仏教関係のものと和歌俳句に関わるものであるが、一部は一般書籍も遺されている。昨日、父の書庫をのぞいていて「三浦朱門著:親は子のために死ぬべし」をみつけた。1991年の刊行であるから、父は75歳前後にこの本を求めたものと思われる。その頃の父の年齢に近くなってきた茫猿は、当時の父の心象風景を辿るためにこの本を読んでみたいと思っている。

母を偲ぶものはこれも納屋にある母が使っていた数々の農具などである。引き継いで、茫猿が使っているものもあるが、母なきあとはそのまま納屋の隅に重ねてあるものも多い。先日は束ねて積んであった筵を取り出して、バラの根元に敷き藁の代わりとした。まだ真新しい筵もあったが、晩年の母が使うのを見たこともないし、母亡き後茫猿が使うこともなかった藁筵(わらむしろ)である。「母さん、敷き藁代わりに使わせてもらうよ。もう好いでしょう。」と語れば、「アンタの好きにするがエーサ」と返す母の言葉を聞きながら、バラの根元に敷いたのである。

ところで、人間は三段階に成長するというならば、高齢化も悪くないことである。(Robert Kegan :日経ビジネスon line 14/6/9
大人の知性の最初の段階は「環境順応型知性」です。順応主義で、指示待ちの段階です。チームプレーには向いています。次の段階は、「自己主導型知性」。課題を設定でき、導き方を学び、自分なりの価値観や視点で方向性を考えられ、自律的に行動できる。自分の価値観に基づいて自戒し、自分を管理します。

最後の段階が「自己変容型知性」。学ぶことによって導くリーダーで、問題発見を志向し、あらゆるシステムや秩序というものが断片的、あるいは不完全なものであると深く理解しています。

親しき人の死と向き合うにも、三つの段階を経てゆくように思われる。 最初はあふれる喪失感の遣り場にとまどうばかりであるが、時が進むにつれて存在が失われたことにしだいに慣れてゆき、こころの空白も埋められてゆくようである。 そのうちに、自らの心象風景なのだが、記憶の底の存在と語り合えるようになる。空白が埋まるということは忘れるということではなく、死者の記憶が自らの澪標(みおつくし)へと変じてゆくように思えるのです。

さらにこののち、どう変わってゆくのか、それらの存在から教えられるものが自らと渾然一体化してゆくのか、それとも異なる存在へと昇華してゆくのか、これからの歳月の重ね方も楽しみの一つであろうと思われるのです。 加齢にしても、最初は若作りをしたりアンチエージングなどと言ったりして老いに抗うものであるが、しだいに老いることに馴れ、そしては老いを楽しみ老いらくの三昧境地を得てゆくのであろうと思われる。それは自らの死に近くなることであり、そこでは死者と向き合う作法というものがしだいに洗練されてゆくことにもなるのであろう。

高齢化社会というものを、マイナスイメージばかりで捉える向きも多いのだが、高齢者自身がプラスイメージをもち、社会にもプラスイメージを与えてゆくことが必要なことであり大切なことだと思われる。そうあれば社会の許容も寛容なものとなるだろうし、高齢者自身の存在感も負のイメージばかりでなくプラスのものとして在るようになるだろう。

ジジババが智慧ある存在《知識ある存在ではない、知識では若者に勝てない》となり、人間社会の緩衝帯や潤滑油になってゆければ、高齢化社会も豊かなものとしてイメージされるだろう。でもこの頃の年寄りには手に負えない尊大なお方や矢鱈と僻みっぽい方が益々増えているから、とても難しいことなんだろうと自戒を込めて思わされる。

さて、先に記した「三浦朱門著:親は子のために死ぬべし」であるが、さらっと読み通せるほどの軽快な随筆集だった。結構深刻な話を軽妙洒脱に語っている。三浦朱門という方は曾野綾子の亭主であり、文化庁長官だった方くらいしか知らなかったけれど、第三の新人というものはこういうもんかと思った。そう思えば、安岡章太郎・吉行淳之介・遠藤周作など皆似たような傾向がある。彼がこの本の末尾近くにこんなフレーズを載せている。

老人がその人の衰えた肉体と精神の能力の範囲内で生きることは楽なのです。老人にその能力の限界を越えたことを要求する時に、はじめて老人を過酷な状態においつめる。そしてさらに言いにくいことを言わせてもらうなら、老いの悲劇はしばしば当人の悲劇ではなく、傍らにいる者の悲劇です。

陋屋では春の花も野菜も時分を終えて、夏野菜や夏の花が始まりつつある。茄子、胡瓜、万願寺、夾竹桃に木槿、鶏頭などである。睡蓮も咲き始めたが、傍らの蕺草(ドクダミ)も嫌われ者ではあるが夏の花である。DSC08368

《追記》 いまふと思った。父の蔵書に遠藤周作、安岡章太郎、近藤啓太郎など第三の新人が著すものが少なくないのは、大正という世代を同じくするからなのかもしれない。青春を戦火に奪われ、戦後の混乱期に所帯を構えてした苦労を、どこかで同じくするせいなのかもしれないと思った。父は微笑んで答えないけれど。

関連の記事


カテゴリー: 茫猿残日録 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください