永代経あれこれ

昨日は地元の寺で永代経が勤まりましたので、寺務年行事を務める茫猿は夫婦でお手伝いの一日でした。永代経とは永代読経のことであり、お寺を護持し末永く読経してゆくというのが本旨のようです。一般的には永代経供養などといい、お寺にゆかりのある人々の追善供養の意味も込められているようです。ざくっと言えばお寺で行われる法要と考えればよいのでしょう。

浄土真宗のお寺では年二回、春秋のお彼岸の頃に勤まるのが通例のようです。また年末には宗祖親鸞上人への報恩謝徳のために営まれる法要として報恩講と云うものがあります。年間をとおしてお寺の三大行事の一つが秋の永代経法要というわけです。

我が家の檀那寺は「法敬山 良因寺」といい、檀家数は五十戸強です。昭和の頃には、永代経法要に参詣される方も多くて、ほとんどの家から1名〜2名が参詣するのが慣しでした。本堂が溢れんばかりに参詣者が集まりますから、年行事を務める者の準備や接待もたいへんだったようです。 今は参拝者も20〜30名程度と少なくなりましたし、お斎《おとき:昼食》も仕出し料理を使いますから、かつてのような忙しい思いをすることはありません。

かつては、お斎の一汁一菜の準備に加えて、幔幕の飾り付けや茶菓の接待がありましたから、年行事にとってはとても忙しい一日だったと聞いています。

親が達者な頃には、お寺に関わることは両親任せであり私が関わることなど一切ありませんでしたが、ふた親の葬儀を務め、永代経懇志を納め、一周忌三回忌などの法要も務めましてからは、永代経にも参詣するようになりました。

朝早く準備のために本堂に入りますと、本堂の壁面高く張り上げられている檀家の皆さんが納められた永代経懇志の張り紙が眼に留まりました。眺めてみますと、父母の追善供養を願って納めた私の張り紙が見当たりません。新しい張り紙ばかりが十数枚掲げられています。

ここ数年のうちに亡くなられた馴染みのある方ばかりの法名と志納者のお名前を読んでいて、「ああそうなのだ、我が父母は懇志張り紙からもはずれるほどに過去の人となったのだ。」と改めて月日の過ぎ去る速さを思わされ、この間に亡くなられた方々の多さも思わされました。

控えの間に詰めている年行事は、読経や法話のあいだは何もすることがなく、世間話をするばかりです。年代もバラバラだし《茫猿が最年長、あとは五十代と四十代》仕事も様々、日頃は顔を会わせることも少ない方たちと、私のでき得る昔話、彼等が話してくれる最近の村事情、互いの近況などなどで一日を過ごしました。

最近も叔母や従兄弟の法要がございましたが、法要と云うものは縁者の法要であれ、檀那寺の法要であれ、まさに有縁の者あい集いて、亡き人を偲び互いの縁《えにし》を深めてゆく行事であり、今生きる者のための祀り事なのだと思いました。

《注》 檀那寺とは、檀信徒(檀家)の布施、すなわち檀那(旦那)によって運営される寺のこと。本来の意味では信徒と寺との経済的関係を示しているに過ぎないが、江戸時代に寺請制度によって個人は必ず一つの寺に管理されるようになり、幕府が庶民を支配する有力な手段であった。

この檀家制度《寺請制度》は明治以降には形骸化しているとはいえ、寺と檀家という制度は慣習として今に生き残り、鄙里に生きる者を暗黙のうちに縛っている。昨今の仏教寺院が葬式仏教と揶揄される由縁は、寺院と云うよりも寺院住職が世襲化し、この檀家制度《慣習》に安住していることが最大の原因なのであろう。

我が鄙里では、昭和以前に居を構えた人たちは全員が良因寺の檀家《真宗門徒》であるが、平成以降に転住してきた人たちは檀家《真宗門徒》となることを直ちに良しとしないから、水面下では様々な軋轢が生じている模様である。

身近に花を増やそうと、ひなげしの苗を購入しました。20150914hinageshi

イチジクの実が色づき始めました。あと数日で口にはいりそうです。20150914itijiku

 

 

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