高尾・槙尾・栂尾

 茫猿くらいの年齢の方なら、デュークエイセスという男性コーラスグループが唄って、60年代後半にヒットした「おんな一人」という歌をご記憶でしょうか。 一番が「京都嵐山(ランザン)大覚寺、・・・」、二番の歌詞が「京都、栂尾高山寺(トガノオ コウザンジ)、恋に疲れたおんなが一人・・・」という歌です。


 ふと、この歌を思い出し、冬枯れの京都を訪ねてみました。
例年に較べれば暖かい京都ですが、紅葉の季節はもう終わっていますから、観光客も疎ら(まばら)と思って向かったのですが、市内はいつもの人出でした。
 茫猿が向かったのは、京都市街から40キロほど北西、もう少し走れば福井県名田庄村に至るという美山町という山間の町です。(名田庄村と云えば、茫猿世代には高石ともやとナターシャセブンで記憶に残る地名です。)
 ここに、「茅葺きの里きたむら」という集落があります。三十数軒の茅葺き民家が南向きの山裾に一団の集落を形成している場所です。同行した学生時代の友人と二人で村の中を歩いていますと、ちょうど古くなっていたんだ郵便ポストを取り替えているところに出会いました。
 今は製作していない懐かしい円筒型のポストを、何処からか調達して傷んだものと取り替えていた訳です。聞けば取り替えた古いポストも修繕塗装して、何処かに引き取られるとのことでした。
 この地区は伝統的建造物保存地区に指定され、電線の地中化や消化放水銃も整備されており、村の共同出資によるレストハウス経営や食品加工なども行われているようですが、立ち聞きした村のガイドによると美山町の年間出生数が7人とかで、高齢化と過疎化の進行がお決まりの悩みのようでした。
美山町茅葺きの里きたむら
http://www.kayabukinosato.com/
『ポストの取り替え』

『茅葺きの里全景』

 茅葺きの里で「おろし蕎麦」の昼食を頂き、来た道をとって返し表題の三尾「高尾・槙尾・栂尾」に向かう訳ですが、頂いたおろし蕎麦は数量限定の蕎麦ですが、シンプルで辛味がよく利いていて美味しかったことです。
三尾は奥山から栂尾、槙尾、高尾の順に位置しており、栂尾・高山寺、槙尾・西明寺、高尾・神護寺の三尾三山(寺)で有名です。それぞれ紅葉の名所でもあります。
 この頃の京都は、桜の頃も紅葉の頃もライトアップが盛んであり、有名寺院は昼も夜も大変な人混みです。人のざわめき、寄せる人並み、物売りの声などで、とてもとてもゆっくりと紅葉見物できません。止まって眺めようかとしようものなら「立ち止まらないで下さい」とマイクで声を掛けられる始末ですから。
 だから、せめて残の紅葉を尋ねようと考えた訳です。そこでどうせ紅葉が残の色香ならば、葉を落とした冬枯れの桜もよかろうと、美山町の南隣に位置する京北町の常照皇寺の「しだれ桜」を訪ねました。 観光客など誰もいませんし、拝観受付も無人で「お志をお納め下さい」とあるだけです。
 心付けを納めて境内を巡ると見事なしだれ桜が数本、もう来春の花芽を付けた無数の垂れる枝を冬陽に照らされていました。蒼い杉苔の絨毯と照り映える白っぽい枝の対比は、これはこれで結構なもので、葉を落とした桜に春の盛りを偲ぶというのも風情があっておつなものです。同行した友人は詩心に乏しくて、桜の幹の太さや老木振りに興味があるようでしたけど。
※常照皇寺
http://kyoto.cool.ne.jp/kyoto201aa/niwa2/joshokoji.htm
『常照皇寺のしだれ桜と緑の絨毯』

 次は「おんな一人」に唄われる、栂尾・高山寺。
最近はJRポスター「京都へ行こう」シリーズで取り上げられている高山寺・石水院財善童子で有名ですが、茫猿世代では兎と蛙が相撲を取る鳥獣戯画で記憶に残っている寺です。鳥獣戯画と言えばしばらく前は「2チャンネル」のTOPページ壁紙に使っていたような記憶があるが。
※栂尾・高山寺 財善童子
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/heritage/kozanji.html
※鳥獣戯画絵巻
http://www.tabiken.com/history/doc/M/M060R100.HTM
『高山寺石水院の財善童子』

 高山寺の山域はとても広いのですが、現存するお堂は少なく、往事を偲ばせる石垣と杉木立ばかりの寺です。でも夕暮れの深閑とした、まさに森閑とした山域の奥にひっそりとたたずむ金堂は、何やら厳かで素直に頭が下がる思いがしたものです。同行の初老の男と二人で、恋に疲れた女がいたら絵になるよなと囁きあったことです。
『高山寺・金堂』

 高山寺の石段を降りたら、山里の夕べは早く暮れるものですから、槙尾・西明寺はまたの機会と云うことにして高尾・神護寺に向かったのですが、既に参道駐車場前の茶店は店仕舞い支度でした。それでも折角だからと石段を登り始めたのですが、既に山寺を二ヵ寺廻り膝が笑い始めていましたから、休み休み喘ぎ喘ぎ登り切った神護寺の山門、金堂、開山堂、多宝塔はいずれも結構な構えでした。さすが弘法大師空海を祖師とするお寺だけのことはあります。疲れていましたから、カメラを持たずに登ったのだけが少し心残りの、三尾三山巡りでした。
※高尾・神護寺
http://www.digimake.co.jp/webtown/ukyou/jingoji/jingoji.html

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