市井に棲む一個人が実名で死者に関わることを批判するのはとても難しい、難しいが言わずばなるまい。一昨日、地価調査分科会の席上にもたらされた「松岡農水大臣の縊死」を報せる号外は驚きだった。しかしその後の報道、特にTV報道には疑問が残るのである。死者をむち打たずというのは、美風である。しかし、それは個人的私的な付き合いの中での話であって、公人にはあてはまらないし、あてはめてはならない。
TVは松岡氏の遺体が国会や自民党本部、農水省に別れを告げる様子をヘリコプターで追跡し生中継している。そして多くの関係者が話す「死者をたたえるコメント」を流し続けている。ジャーナリズムには冷静な対応が望まれる。情緒的感傷的な対応、報道姿勢は本質を見誤らせる畏れが大きいのである。
幾つかの公人のコメントのなかで、とても理解できないと思えるのが二つある。一つは伊吹文部科学相の「死人に口なし」発言であり、もう一つは石原都知事の「サムライ」発言である。
死人に口なし」発言は、同じ自民党派閥に属するという身近にいた者としては語るに落ちたというべきか、不用意な発言である。
「サムライ」だという発言は「死をもって償う」という背景を意味する。しかしこのコメントは危険である。自死を崇高なものとする考え方につながりかねない。自死が本当に勇気ある行為なのだろうかという疑問が残るのである。
自死をもって政治家人生に自ら幕を引くくらいなら、どうして全てを明らかにしなかったのか、死を選択する以外に「明らかにできない理由」などがあるのだろうか。せめて口をつぐんでもいいから、自ら辞職引退という選択肢はなかったか。地位の高い公職にある者が自死を選択するというのは適切な選択なのか、正しい説明責任の果たし方なのかという報道姿勢もほしい。
そういった意味で、以下のブログ記事チェックすることに意味があると思うし、内容的にも興味深いものがある。
・ムネオ日記:鈴木宗男「ムネオ日記」2007/05/28
発言が話題となりアクセスが集中しているようで、重くなっています。07/05/28日記の次の発言に至るためには辛抱強いスクロールが必要です。
その時私は松岡大臣に「明日決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのお詫びをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力無く「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。
・永田町徒然草:白川勝彦 「死者にたむける言葉」
日経BPネット:立花隆 「松岡農水相を巡る黒いウワサ」
極東ブログ by finalvent 「松岡利勝農水相自殺 雑感」
きっこのブログ 「アベ内閣の犠牲者」、「アベ内閣の闇」
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