サステナブル

 サステナブルとは持続可能なという意味であり「sustainable development :持続可能な開発」といったふうに用いられるようである。将来の環境や次世代の利益を損なわない範囲内で社会発展を進めようとする理念であり、環境に負荷を与えない循環型とか緩やかな持続という意味合いもあるようだ。先号記事:トポロジーに続くのは「サステナブル」なのである。


 ことのはじめは書店の渉猟である。iNetから購読するのも悪くはないが何か掘り出し物はないかと書店の棚を巡るのも良いものである。そんななかで次の三冊を見付けたのである。いずれもローカル・岐阜限定話題であるが、岐阜人だけでなく、全国の地方都市を考える上で幾つかの示唆を含むと思うから紹介する。
やっぱ岐阜は名古屋の植民地 !? 松尾一著:まつお出版
・人口減少時代の地方都市再生 富樫幸一他著:古今書院
  ※副題:岐阜市にみるサステナブルなまちづくり
・岐阜という名乗りの都市普請 高村義晴著:岐阜新聞社
「やっぱ岐阜は名古屋の植民地!?」
 94年に同じ著者が上梓した「名古屋の植民地!?」の続編というか改訂版である。相変わらずの辛口岐阜評であるが、岐阜市加納に在住する著者によれば「岐阜への愛情や今後の期待を込めた辛口評であり、新たな情報を加味して問題提起した」とのことである。一時間もあれば十分読み切れる量であり、文章も平易である。鑑定士などのプロはこの手の本は読まないことが多いのだが、読む意味が無いかというとそうでもない。週刊誌記事的内容ではあるけれど、一つの見方を再確認する上ではそれなりの意味があると考える。切り口の一つとして、落語の枕的に思考の引き出しを埋めておくことは多面的思考の助けになるのである。
 岐阜という地名は知名度が低いと著者は云う。

岐阜よりも小京都・飛騨高山や踊りの郡上八幡や「奥の細道結びの地・大垣」や「佐藤一斎、下田歌子の岩村」の方がよく知られており、岐阜を紹介するに苦労するという。第一、岐阜と書けないし読めない人も少なくないと云う。領収書を貰うときなど、岐はともかくとして阜という字を教えるのに苦労して「、の下にBを書き、十を足す」などというのだそうだ。

  
「人口減少時代の地方都市再生」
 岐阜大学地域科学部の先生方が、岐阜市の繁華街柳ヶ瀬、繊維問屋街、伝統地区・金華学区、大洞住宅団地などを、それぞれのフィールドワークをベースにして人口減少時代における環境への負荷が少なく持続可能な都市造りを提言する書である。豊富な資料に裏付けられた叢論であり、現象的には承知していたことを改めて解説してもらうことにより、こちらの知識も整理される。学者の書いたものであり知的レベルが高く専門性が高いから、直ちに鑑定評価関連知識が増える訳ではない。しかし、地域性ある不動産関連の基礎知識増強には大きな力となるものであるし、不動産鑑定士的教養を高めてくれるものである。また学問の手順・手法を知るという意味もある。
岐阜の課題を著者はこう述べる。

 岐阜市は全国の県都や政令指定都市を合わせた49都市の将来性ランキングで最下位となったことがある(1992.3:The21)。その要因は人口や製造業などの最近の成長度の低さと、外部から見たイメージ想起率などの認知度の低さにあった(都市ブランド力の低位)。
 また、相変わらず続く郊外での開発志向とスプロール化、中心市街地の衰退・空洞化、繊維・アパレル中心の産業構造の転換、古い街並み保全、郊外住宅団地の急激な高齢化対応などが同時並行的に生じている。

 
「岐阜という名乗りの都市普請」
 辛口戯画評に揶揄され、論理的だが地元の芳しくない現状分析を読んだ後は、地方都市活性化を目指す都市普請である。著者の高村氏は旧建設省出身の元岐阜市助役で、現職は山形県土木部長である。 著者は、「道三・信長が岐阜に籠めた想い」から説き起こし、まちなか散歩や文学散歩も語り、次いで柳ヶ瀬、岐阜駅周辺、岐阜大学移転跡地などの現状と将来像を語るのである。三冊のなかでは鑑定士直結といえる書籍である。もちろん鑑定士だけでなく地方都市の再生とか再開発といった分野に関わる人にとって目を通しておきたい書籍の一つである。
 都市の原風景二つを著者はこう述べる。

 自分のまちに残したい風景は二つに分かれる。 一つは、私たちが先人から受け継ぎ、自分の記憶や想い出を溶かし込みながら、次に引き継ぎたいとするものである。  もう一つは、私たちが新しくつくり出し、誇りと愛着をもって次に譲り渡していきたいとするものであろう。本書のねらいも、見方をかえれば、次に残したい風景をつくることにあると言ってもよい。

 以上、三冊の書籍を読みながら想うのは、「トポロジー的思考:ものごとを立体的に考える」が大切ということである。岐阜に事務所を構える不動産鑑定士だから、三冊に述べられていることは取り立てて目新しいものではない。概念的あるいは断片的には承知していることが少なくない。でも改めて、市井の論者、大学の研究者、行政マンから、それぞれが異なる視点や方向から説き聞かせられれば、改めての理解も速いし、おぼろげな知識も系統的に整理されてくるのである。
 昨日・今日・明日という時系列のなかで、個々の集合が地域を形成し地域の在り様が個の在り様に影響を及ぼしてゆくと教えられる不動産価格形成の基本原理は、まさにトポロジー的(立体的:四次元的)視点でサステナブルたるべき(持続可能な)地域形成の様相を見つめてゆくことに他ならないと思えるのである。
 高村氏が行政マンであり元岐阜市助役だからこそ、いささか残念に思うのは以下の記述である。『環境問題が大きく圧しかかり、高齢社会における交通利便性が求められるなか、都市の装置として、全国的に、路面電車にもう一度、脚光が集まることは必至であろう。それは環境都市のシンボルともなる』
 岐阜市の路面電車が全廃となったのは05/03のことである。氏が岐阜市に在籍したのは05/04~07/03である。岐阜市路面電車廃止に氏の助役としての責任は無いが、LRT(Light Rail Transit)問題なども含めて在任中に復活存続へ向けての問題提起が可能だったのではと思うのは「無いものねだり」だろうか。
 岐阜市に事務所を開設して三十年以上になるが、その当初(1970年代)から常に自動車交通の邪魔者扱いされてきた路面電車であるが、茫猿は機会あるごとに路面電車の存在意義を述べてきたように思う。岐阜市内の路面電車が廃止されることが、地価にどのような影響を与えるかについて地価公示の分科会で議論した記憶もある。その折りに商工会議所の顧問をつとめていた先輩鑑定士が、こんな話をした。「市電が無くなれば渋滞が解消し、自動車利用の客にとって都合がよくなり集客力が増すからと、商店会が廃止一辺倒なんだよ。赤字が続く市電存続のために支払う、市財政からの補填額が認められないのだ。」 
 岐阜市内の路面電車は段階的に縮小廃止されてきたものであり、2005/03の全面廃止のさかのぼる二十年近く前に市内をJR駅前から長良川や岐阜城を結んで南北に走る幹線路線が道路の拡幅改良にあわせて既に廃止されていたから、全面廃止についての抵抗も弱かったのであるが、継続復活という方向転換を模索する動きがなかった訳ではない。観光資源として、環境対策として、高齢者に優しい町造り施策として、路面電車の持つ意味は当時も高かったのであるが、路面電車の存続費用や追加投資とそれら費用に対応する効果を実額として計量化できないことから、日常的利用圏域外のスプロール化した広域に居住する市民の賛成を得られなかったのである。 『写楽:名鉄岐阜市内線

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