落花は枝に還らずとも

歴史小説と時代小説をそれぞれ一編ずつ、面白く読んだ。


竹内洋(落花は還らずともの解説者)氏は、歴史小説と時代小説を解説してこう述べている。歴史小説とは、歴史的事実を十分に踏まえながらも、作家の想像力を駆使して、逝きし世の人々を生き生きと再現し、時代の空気や匂いを掬い上げている小説である。時代小説のほうは歴史小説ほどに史実に忠実ではない。忠実でないどころか、早死にした歴史上の人物を長きにわたって活躍させたり、男前でもない歴史上の人物を男前にしたりするのは朝飯前である。

この竹内氏の分類にしたがえば最近に読んだ二編のうち、諸田玲子著「山流し、さればこそ」は時代小説であり、中村彰彦著「落花は枝に還らずとも:会津藩士秋月悌次郎」は歴史小説であろう。
山流し、さればこそ』角川文庫
山流しとは、江戸に居住する旗本ご家人が、当時天領であった甲府勤番を命ぜられて甲斐に赴くことを云うのである。いわば華やかな江戸から山国甲斐への左遷を指すことばである。些細な誤解や中傷から小普請組世話役を務めていた矢木沢数馬が甲府勤番勝手小普請に役替えを命ぜられて甲州街道を甲府に行く旅の描写から物語は始まる。
小普請組入りして為すことない日々を送り山流しの悲哀を酒や賭博に紛らわせる同僚達のなかで、主人公は事件に巻き込まれてゆく。さして腕が立つわけでもなく、智者でもない彼が事件を解決してゆくみち筋をつづる物語である。いわば窓際に追い遣られた小市民的サラリーマン武士が、萎える気持ちを妻子に支えられて事件を解決してゆくうちに、甲府勤番としての武士の矜持や自らの新しい生き方を見付けてゆく過程をつづる話である。
書店でふと手に取った文庫本であり、諸田玲子なる作家も初めて読ませていただいたのであるが、数馬もその妻多紀の描写も細やかであり、滑らかに読むことができた。

それにたいして「落花は枝に還らずとも」は歴史小説である。登場人物が交わした文、読み下し漢文、和歌などの引用が多くてとてもなめらかには読めない。この小説は標題の示すように会津藩士秋月悌次郎の物語である。時代は幕末、1850年頃(安政年間)からi890年頃(明治25年前後)までの激動を会津藩士の眼をとおして語るのである。

主人公秋月悌次郎は武官ではない、会津藩公用人添え役を務める文官である。今風に云えば会津藩東京事務所長を支える事務所課長クラスであろうか、幕府の昌平坂学問所で天下一の学生(がくしょう)と謳われた才人であり、会津藩主松平容保が京都守護職に任命されると、その交誼の広さをかわれて諸藩との折衝役を任されているのである。

会津、薩摩が連携して禁門の変に奔走した後には、藩内の軋轢から蝦夷地斜里代官に左遷されてしまう。蝦夷地代官を二年務めた後、慶応3年(1868)に風雲急を告げる京都に復帰するものの、二年の間に時代は大きく変わり大政奉還、王政復古、戊辰戦争そして会津城落城と、会津藩の処遇も秋月の運命も様変わりしてゆくのである。会津藩敗走後に秋月は終身禁錮に処せられるが特赦を受けて、1882年に59歳で東京大学予備門教諭にも就きさらに1890年には熊本の第五高等学校教諭に指名されている。熊本五高で彼は小泉八雲と出会い、「神のような人」と賞賛されている。

会津藩の外交官からみた幕末史である。会津と薩摩の経緯、長州藩との軋轢、尊皇佐幕から公武合体を経て攘夷倒幕になだれてゆく政情 、徳川最後の将軍慶喜の在りよう、何よりも孝明天皇の信頼を得ていた尊皇会津藩が幕府と朝廷の軋轢に翻弄されてゆくさまが細かに丁寧に語られてゆくのである。我々は司馬遼太郎の「翔ぶが如く」や「龍馬がゆく」、今年放送されている宮尾登美子の「篤姫」など、薩長土肥側を主人公とする幕末史を読んだり見たりしているから、戊辰戦争における白虎隊の悲劇は知っているものの、会津藩が尊皇藩であり孝明天皇(明治天皇の先帝)が会津藩に寄せた信頼などは知らないのである。いわば明治維新における勝ち組から見た歴史は知っていても、負け組からの歴史は知らないと云ってもよいのである。

往々にしてというよりも、歴史というものは常に勝者が書き残しているのであり、正史に敗者の言い分は語られないし、語られたとしても勝者に都合の悪い部分は記録されないのである。藩財政が厳しいなかで京都守護職を命ぜられ、奥州の地から遠く京都に千名もの藩士を送りながら、幕府の財政的支援が十分に得られないどころか、幕府老中達の優柔不断さや状況判断の拙さから孤立無援に陥ってゆく悲劇が淡々と語られてゆくのである。

会津藩落城後に旧知の長州藩士奥平謙輔(維新後に萩の乱を起こして刑死する)のもとへ、藩の寛容な処分を訴えに猪苗代から新潟へ秘かな雪中行をしたおりに、秋月は「北越潜行の詩」を残している。

行無輿兮帰無家 (行くに輿なく帰るに家なし)
國破孤城乱雀鴉 (国破れて孤城雀鴉乱る)
治不奏功戦無略 (治功を奏せず戦いに略なし)
微臣有罪復何嗟 (微臣罪ありまた何をか嗟かん)
聞説天皇元聖明 (聞くならく天皇元より聖明)
我公貫日発至誠 (我が公の貫日至誠より発す)
恩賜赦書応非遠 (恩賜の赦書はまさに遠きに非ざるべし)
幾度額手望京城 (幾度か手に額をして京城を望む)
思之思之夕達晨 (之を思い之を思えば夕晨に達す)
憂満胸臆涙沾巾 (愁いは胸臆に満ちて涙は巾を沾す)
風淅瀝兮雲惨澹 (風は淅瀝として雲は惨憺たり)
何地置君又置親 (何れの地に君を置き又親を置かん)

「今日の落花は来年咲く種とやら」
一度枝を離れた落花は、その枝に還って咲くことは二度とできないけれど、来春咲く花の種にはなれる。秋月が維新後の余生を教育に捧げた由縁である。

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