乃南アサ ワールド

 久しぶりに乃南アサの小説を読んだ。乃南アサ・ワールドである。 一つは「涙」、もう一作は「火のみち」である。 「」は東京オリンピックを背景に、刑事である婚約者・奥田勝が突然失踪する。奥田の先輩刑事の娘が惨殺され、奥田が容疑者視されるところから物語は始まる。 お嬢さん育ちの婚約者が先輩刑事と錯綜しながら、事件の真相に迫ってゆくという作者お得意の刑事物語&素人探偵物語である。 正義感と責任感が強いが故に、事件に巻き込まれた奥田刑事、次第に明らかになってゆく先輩刑事の娘が過ごしていた生活の実相。 そして帰還前の沖縄を舞台に明かされる事件の真相などである。 東京オリンピック(1964年)は乃南アサ氏がまだ幼い頃のイベントであるが、鄙の堂守には青春の頃である。 当時の世相、歓楽街の裏町など懐かしく読めるし、クライマックスの歯切れの良い展開は乃南ワールドである。


 もう一作「火のみち」は大河小説である。 終戦後に旧満州から引き上げてきた家族が、貧困のなかに離散してゆく様が、よく書き込まれた時代背景とともに語られるのである。 幼い妹を守るために心ならずも殺人事件を引き起こした主人公が刑務所で出会った陶芸の世界。 備前焼の窯に踊る炎に魅せられてゆくさまが力強く語られる。
 後に中国・宋代の青磁・汝窯に魅入られてゆくのである。 女優として成長した妹に名乗ることはできないが助けられながら、汝窯青磁にのめり込んでゆく主人公と、その周りの人々、時代は戦後まもなくから、昭和末まで、作者は戦後史を語りながら、世相の有為転変と主人公の成長というよりも、頑なな芸術家へと移り変わってゆく様を描いている。 三日間に及ぶ窯焚きのさま、汝窯の蘊蓄など興味あるとも云えるし、いささか諄いとも云えるのであるが、窯焚きの凄さ、汝窯の深さが物語の重要な背景なのだからなおざりにはできないのであろう。  主人公がようやく訪れることができた汝窯跡地で自らが職人であることに気づかされる様は、鑑定士にとっても専門職業家などと気取る前に、鑑定と評価の職人として自らの技芸を極めてゆくべきであろうと思わされるのである。
 両作ともに、平成バブル崩壊のなかにいる者としては、戦後から高度成長期に至る戦後昭和史の時代背景を今一度思い浮かべながら読み進めれば、自分史と重ね合わせて懐かしく読める小説である。 時代とか世相が多くの人々に大きな影響をもたらしたであろうと云うことを、今こそ振り返ってみるのも一興ならざることに思える。
 それにつけても、乃南アサの音道貴子シリーズ「風の墓碑銘」の次作が待たれるのである。 鑑定シンポin岐阜で愛車「ポンネビル」を駆って活躍されているK.N氏にお会いしたのですが、音やんがバイクツーリングする様子とだぶってしまいました。

関連の記事


カテゴリー: 只管打座の日々 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください