政界は末期的症状

 自民党は今や末期的症状に入ったようだ。報道によれば、一院制を目指す自民党有志議連が発足したという。衆参二院制を廃して一院制を目指すには、憲法改正が必要だというに、直面する重要課題を放っておいて、いったい何を馬鹿げたことを夢想しているのであろうか。

『ねじれ打開へ「一院制」議連 自民、民主をけん制(asahi.com他(2008年5月17日)』
 「ねじれ国会」打開策としての国会改革を目指す自民党有志の「衆参両院を統合し、一院制の新『国民会議』を創設する議員連盟」が16日、発足した。参院で主導権を握る民主党をけん制する思惑もにじむが、自民党内にも参院側を中心に異論があり、議論がどう進むかは見通せない。
 総会には、参院議員5人を含む48人が出席。顧問に首相経験者の森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三各氏が名を連ねたが、この日は欠席した。代表世話人の衛藤征士郎元防衛庁長官はあいさつで「参院で政局中心の運営をされれば、たちまち行き詰まる。責任政党として衆参両院のあり方を検証、点検することが必要」と強調、野党対策の一面をうかがわせた。

 参議院否決、衆議院2/3可決を繰り返すこと両三度、総選挙を行えば2/3を失うことは確実、今の硬直状態があと数年は続くであろうことからの焦りなのかもしれないが、それにしてもおよそ不可能なことを言い出すなんて、およそ国政政治家らしくない。万年与党呆けとしかいいようのない漫画だ。
 ねじれ国会、ねじれ国会とマスコミも含めて騒ぐけれど、衆議院与党に2/3を与えたのは郵政民営化解散だった訳だし、それにノーを突きつけたのが参議院選挙野党勝利だったわけで、2/3与党の暴走や横暴を食い止めるという「賢い民意」が示した結果なのだという「国民の意思」を無視すること甚だしいといわざるを得ない。
 そもそも国会というものは議論の府であるので、採決の府ではない。採決は議論を尽くした上での結果なのである。衆参の意志が食い違えば両院協議会を開いて妥協点を見出すというのが憲法が示す「ねじれ国会」のあるべき姿であったはずだ。それを駄目なら2/3採決に及ぶという強行突破がいつまでも続けられる訳はないのである。
 政治とは様々な国民の要望や要求について、優先順位を与えてゆくことに本旨が存在するのであり、平たくいえば常に妥協点を探してゆくことに尽きるのではなかろうか。白か黒かでも、オールオアナッシングでもないはずである。こんな「イロハのイ」も判らない万年与党呆けの自民党はもはや末期症状、安楽死寸前といってよいのであろう。「馬鹿なことは止めとけ」と諫めるのが役目のはずの総理経験者が議連顧問に名を連ねているとあっては、もはや何をか云わんやである。
 もし、この議連創設の真意が野党や参議院のゆさぶりにあるとすれば、それは愚かというよりも憲法や国民を愚弄する行為であると云わざるを得ないのである。衆参の食い違いという直面したことのない事態に、どうしたらよいのか、とまどっているのは判らないでもない。でも2007/07参議院選挙から既に半年以上が経過したわけであり、ぼちぼち「おとなのの知恵」というものを見つけてほしいものである。
 

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