木の芽起こし

 如月のはじめに雪が降り、気温の低さから雪が消えるに刻を要していたが、二日ほど続いた雨で雪は消えた。 昨日今日は時おり小雪が舞っている。 おかげで野良に出ること叶わず、為すことなく部屋に逼塞する日々が続いている。
 十日も引き籠もりがつづいていると、あれこれ何やかやと思わされることも多い。 無聊をかこつ時には早すぎた引退を思わないでもない。 それでも鏡を覗けば、ほうれい線が目だち、目袋がたるんだ見慣れない顔が映っている。 おのれを識ると云うことの難しさを今さらに思い知るのであるが、おのれを忘れてしまうことも時には益あることではなかろうかとも思う立春過ぎの日である。


 思い立って畑をひとまわりして、春の気配を探してきた。開花が遅れている紅梅だけれど、蕾は大きくなっているから数日もすれば春の訪れを報せてくれることだろう。いいえ、春はもうそこにと教えてくれている。
  
 同じく、白梅である。こちらの開花は旬日もあとだろうか。
  
 ライラックの花芽は、紫色なのである。
  
 花の時期は、まだまだ先なのだが花芽はすでに豊艶さを思わせる石楠花。
  
 こちらはサンシュユの花芽。
  
 花の定番、大島桜。
  
 花芽ではなく葉芽であるが、夏椿(シャラノキ)。 梅の花蕾にまだ風は冷たくとも陽射しの暖かい春近しをおもい、桜の花蕾に爛漫の春に散る花片をおもい、石楠花や夏椿には梅雨前の陽気を思うのである。 年々歳々花相似たりなどとは言わない、去年の花は去年の花、今年の花は今年の花なのである。 相似たりと感じるのは観る人の感傷に過ぎず、花は年毎に新しき命を紡いでいるのであるといえば理に過ぎるか。
  
 そして柿の葉芽、やがて若芽をふき、柿若葉のなかに小さな花をつけ、いつか実成りと紅葉の秋が巡ってゆく、そんな一年が今年も始まっているといえば、それこそ鄙人茫猿の感傷に他ならないのであり、三文散文屋なのだと思い知る。
  
 明日は、たぶん今年度最後となるであろう新スキーム改善委開催日である。予想される結論は物足りないこと夥しいものとなるであろうが、いまさらに波紋を生じるような発言は控えようと決めている。 先日来の記事を会議席上で蒸し返してみても大人げないことのように思える。 然るべき方々には既に何度も伝えたことでもあるし、その上での上程案なのであろうし、それが現執行部の採用できる最善策なのでもあろうと思うからである。 妥協の産物と言うのは容易かろうが、それよりも一歩でも前に進むことが今は大切であろうと考えるからである。
 先日来の記事とは「事例管理と鑑定評価 (2012年2月2日)」、「 茫猿の現実認識 (2012年2月3日)」、「何処で間違えたのか (2012年2月5日)」の三編のことである。

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