何処で間違えたのか

『鄙からの発信』読者の多くは、新スキーム問題に関わる話題には飽き々々されていると思います。 茫猿自身も厭きているし、書き続けることに疲れています。でももう少し語り続けていようと考えています。 本稿は現在提起されている一連の問題が何故生じたのか、何処で間違えたのかについて考えてみたいのです。


新スキームの導入が検討され始めた頃の「千載に悔いを残すな (2004年9月9日) 」と題した過去記事を読み返してみました。今に多くつながる記述がありましたが、それら事項が的確に認識され実現されてこなかった結果が現在であろうと思われるのです。以下、同記事から一部抜粋引用してみます。

1.鑑定評価のデジタル化
地価公示を始めとして鑑定評価のデジタル化は進みつつありますが、現段階では残念ながら文字情報のデジタル化、即ちテキストデータ利用に止まっています。
ワープロデータもファイルデータもスプレッドシートデータもテキストデータとして入出力可能なデータであり、相互に互換可能なデータです。 しかし、鑑定評価にとってテキストデータと同様に、それ以上に重要な地図情報、公図地形図等情報、写真情報等々のイメージデータ(画像情報)についての取組が遅れています。これらイメージ情報のデジタル化並びに有効活用に取り組むのに、とても佳い機会です。

2.鑑定業界の情報基盤の整備
BtoB、BtoC環境を生かしたネットワークを構築して情報基盤を一新するには、とても佳い機会だと考えます。士協会ブロードバンドネットワークを構築する佳い機会です。

3.土地情報整備と公開に寄与することによって、鑑定士の存在感向上
単に従来型事例カード整備を行うに止まらず、Mapシステムやデジタルカメラなどを活用して土地取引情報をより精密なものにして、開示情報の価値を高めることに寄与すべきと考えます。当然のことですが、蓄積情報を活用することにより鑑定評価及びその周辺分野の業務拡充につながるものだと考えます。

一.情報開示制度についての理解不足(誤解)
2006/04から始まった、いわゆる新スキーム、すなわち不動産取引価格情報提供(開示)制度は何を目的としたのかについて、理解不足だった、あるいは意図的に理解しなかった。 不動産の取引価格情報提供制度の目的は「誰でも安心して不動産の取引を行えるように、 数多くの取引価格情報を蓄積し、国民の皆さまへ提供していく、国の制度」であるにもかかわらず、不動産鑑定評価の取引事例収集制度であるがごとく矮小化して理解しようとしたことに、現状につながるそもそもの課題が存在するのです。
不動産鑑定評価に関して云えば、「情報が充実することは、専門家にとっても重要です。不動産の取引価格情報の公表によって、不動産の鑑定評価もより多くの情報を活用して行えるようになれば、信頼性が一層確かなものとなります。」ことを目的としていた。 この本則に立ち返れば、現在直面する様々な問題を解決する方向が自ずと見えてくるのである。
即ち、全ての方向は情報開示、情報共有にあったのだということです。決して情報の囲い込みや、情報データベースへのアクセス制限などの方向にはなかったということです。
二.デジタル化についての理解不足(誤解)
デジタル化の進展はコモデテイ化を惹き起こすものであると同時に、データベースの多面的機能的利用を容易にするものであり、さらには個人情報保護法との関連に十分留意しなければならないものであった。 すなわち主観的バイアスの掛けられたデータの持つ意味、データベース利用が招くであろう事象、データベース管理にかかわる安全管理措置の徹底などが吟味されなければならなかったのにもかかわらず等閑にされた。
この件に関しては色褪せた記事ではあるが、それだけに時の流れに晒されて残る今に通じるものもあろうと考える記事がある。「鑑定評価のデジタル化 (1999年9月8日)」と題する記事である。

 鑑定評価のデジタル化とは、データの共有とより高度なシミュレーションの実現に他ならない。個人が用意できるデータ量には自ずと限界があるから、共同でデータ作成を行うことが時間的にも経費的にも有効である。そして、共同作業を行うためには統一されたフォーマットが必須条件となる。これは、地価公示のパソコン化において実証されたように、統一フォーマットでデータを作成するからこそ相互にデータ交換が可能になるのである。そして一次的には土地価格数値比準表を用いたシミュレーションを行って、均衡のとれた的確な評価を実現しようとするのである。
アナログ的鑑定評価がその使命を終えたわけではありません。今でも単件評価や個々の依頼者に深く丁寧に応えてゆくためには、アナログ的思考がかかせません。デジタル的処理のとても及ぶところではありません。しかし、このような単件評価も個々の依頼者への対応も、デジタル処理された大量データのバックアップや高度なシミュレーションの裏付けがあれば、より一層、輝きを増すのです。

三.ネットワークについての理解不足(誤解)
この件に関しては「間違いだらけのREA-NET (2008年8月19日)」に述べているので、再掲はしない。 他にも「ReaNet接続の全面開示を求める (2010年11月13日)」にも述べている。
要するに安全で便利で双方向性が維持できるコミュニケーション・ツールというものが、実現できたのにもかかわらず、Rea Netを矮小化あるいは誤解することにより、現在に至るまで問題を先送りしたのである。 今また、事例閲覧システム問題に矮小化しようとする傾向が認められるが、事例閲覧システムは鑑定協会ネットワークの一機能に過ぎないと云うことが置き去りにされようとしているのを懸念するのである。
『だから言ったじゃないの』などと言うつもりは更々ない。 伝えたいことは、今ようやくにして「新スキーム抜本改革」が俎上に上ったのであれば、問題の本質から目をそらさないでいてほしいのである。 問題を矮小化したり先送りしたりしないでいてほしいのである。 鑑定業界に余力が残されているあいだに、少しは痛みを伴う改革に立ち向かってほしいのである。 新スキーム導入について検討開始から既に八年、導入からでも六年が経過したのである。 失われた六年を取り戻す改革であってほしいと願うのである。 公共サービス改革の対象や市場化テストの対象となってからでは、時既に遅いのである。
何度も述べていることに「デジタル化の進捗はアナログを否定するものではない。」という表現がある。 このことの意味は「デジタル化できるものはすべて、もっと賢いか、安いか、あるいはその両方の生産者にアウトソーシングされてゆくであろう。それはコモデテイ化と表現してもよかろう。 であればこそ不動産鑑定士などの知的職業にたずさわる者は、人間同士の微妙な触れ合い(アナログ的リソース、ソリューション)に精通しなければならないのである。」と言い換えることができようと考える。

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