もの思わす濃き緑陰

夏の名残りが残るなかに秋の気配が漂う季節は、何やらもの悲しい。厳しい日ざしが続くなか暑さにもめげず夾竹桃や百日紅、木槿が赤や白の花を咲かせ、樹々の葉は緑の濃さを増し続け、蝉は陽が落ちてからも泣き声を響かせている。そんな生き物の命の盛りを思わせる季節が、お盆を過ぎてからは日毎に落ち着きを見せている。

入道雲が多い空は鱗雲に変わりはじめ、蒸し暑かった空気が爽やかさを取り戻し空は透明感をあらわし始める。蝉の声もアブラゼミやミンミンゼミから法師蟬やヒグラシの声に代わり、夕べになれば樹上から聞こえる蝉の声に代わって草むらから虫の声が聞こえてくる。頭上を照りつけていた太陽は角度が低くなり、生い茂る木立の陰を濃く深く見せている。

名残りの夏とハシリの秋が交差する季節は、盛りの季節から落ち着きの季節への移り変わりであり、夏を惜しみながらも猛暑を通り向けてホッとする気分が否めない。スダチやカボス、ユズの青い果実が大きくなり、サンマやキノコを待つのである。 最近は口にする機会に恵まれないが、名残りの鱧とハシリの松茸が短く行き交う出会いを楽しむのもこの季節の楽しみである。

今日《08.27:この日に初稿を書きはじめた》の月齢は12.5夜である。秋の訪れを知らせるように澄んだ空に輝いている。昼間の暑さを残す室内から戸外に出れば、夜半の冷気に身体を包まれて秋の月を仰ぎ眺めるのである。月光は屋根瓦を輝かせ木立を黒々と際立たせている。盛夏残暑の季節は終わりを告げ初秋冷涼に向かうこの季節は、人に落ち着きを与え思索を促すのである。

戸外での遊びに明け暮れた子供の頃の夏休みの記憶が、暮れなずむ涼しさのなかで終わる夏を懐かしく偲ばせて、私を何やらもの悲しくさせるのであろう。《09.01追記、この十三夜の月以後は曇天がつづき、今夜も月を見ることはない。》

年寄りの生き方というものを考えさせられている。近く、特養ホームの入居費やショートステイ費用などの算定に個人貯蓄額を反映させると報道は伝えているが、生活保護や高齢者介護給付に個人資産を反映させることの実態は千差万別であり、百人百様なのだから一概に言挙げできないことと承知している。同様に国民年金額と生活保護給付額を単純比較するのも、為にする議論建てと考える。

しかしながら、昭和の時代に構築された右肩上がりを前提とする高齢者福祉は見直さざるを得ないことだろうと考えている。総じて逃げ切った世代と揶揄されている高齢者世代は既得権益に甘んじることを考え直す時期にあるのだろうと考えている。個人的にも現状維持を願う老夫婦に較べて、先行きに不安を隠せない息子たち世代との相克は何とかならないかと思わさせられている。

そんな息子たちの述懐を聞くたびに、年寄りは廻りに迷惑をかけないうちに早く死ぬのが望ましいとも思うのである。貯金や資産を残さずにお金を使い切って死ぬのが好ましく、若い者にお金を回す生き方をすべきだろうと思うのである。

ことはそんなに簡単ではないし単純でもない。老後に訪れるであろう病や介護の生活を考えれば、資産の食いつぶしは先行きの不安を増すばかりである。何よりも早く楽に死ぬと云っても、思い通りに死が訪れる保証などカケラほども無いのであるし、老後に同居して日常生活の面倒を見てくれる親族も無い。遠く離れて生活する息子たちが同居してくれる当てなど露ほども無いし、それを願う気持ちもさらさら無いのである。

既に亡くなった同世代の友も年毎に増えているし、病と闘う友も増えている。自らが平穏を保っているからと云っても、それが明日も続く保証など何処にも無いと承知している。それでも考えるのである。自立して日々を過ごせることを有り難く思い、若い世代の邪魔にならないように、若い世代の足を引っ張るような生き方は努めて避けなければならないと考えるのである。

少子高齢化の時代における”年寄りの生き方”というものは、右肩上がりを望まず、量的拡大を願わずに質的充実を旨とする生き方を求めるべきなのであろうと考えるのである。量的において縮小均衡に甘んじること無く、質的充実を目指すことにより新しい地平を目指すべきであろうと考えるし、先ずは高齢者世代がそのように生きるべきであろうと考えるのである。

世間の片隅でヒッソリと生きようなどと考えているのではない。現役を退いて既に七年になろうとしている今の茫猿は朝《あした》に畑を耕し果樹の手入れを行い、夕べに書を読みキーボードに向かっている日々である。とは言うものの、右目の状態が芳しくないので長い時間の読書やタイピングは、結構疲れるこの頃である。

書を読むというものの最近は新刊書を購入することは稀で、藤沢周平や池波正太郎などの再読がもっぱらである。それでも、たまには新刊を購入する。本日宅配されてきたのは、”日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか(集英社インターナショナル):矢部 宏治”、”永続敗戦論―戦後日本の核心 (atプラス叢書04):白井 聡”、”晩鐘(上中下巻) (双葉文庫):乃南 アサ” である。

そんな日々土に親しむ暮らしの中で次世代の為に何ができるか、どのように生きるべきかを考えている。未だ病に沈むこと無く生きながらえて、時に羨ましがられるような日々があることを望外の慶びとすべきであろうと考えるのである。疾しき沈黙は避けようと最近も記事にしたが、先日は膝を叩いた字句に出会った。「最大の悲劇は、悪人の抑圧や残酷さではなく、善人の沈黙である」というFaceBookのSEALDsに記載されるフレーズである。茫猿は少し異なる立ち位置から、市民の無関心こそがSEALDsに集う若者たちの気力を萎えさせると考えている。

然は然り乍ら《さはさりながら》、旨いモノも食いたい、とりあえずは鱧松《ハモと松茸のシャブシャブ》が食いたい。年に一回は国内旅行に出かけ、海外旅行も体力のある限り出かけたい。本を買いたいし映画も見たい。現世の欲に限りは無いのである。上を眺めれば限りはないけれど、己が結構恵まれた日々を過ごしているのだと云う自覚はある。書きつらねた”年寄りの生き方”などというものが、そんな結構恵まれた境遇にある茫猿の戯れ言《ざれごと》なのだと自戒もするのである。

そこで、とても格好良くいえば、無財の七施を目指している。七施とは財力や智慧が無くても、七つの施しが出来るという雑法藏経《ぞうほうぞうきょう》の教えである。年寄りにこそ相応しく好ましい生き方なのであろうし、一つでも務めたいものである。
1.眼施:慈しみの眼差しで人に接する。
2.和顔施:和やかな顔で人に接する。
3.言辞施:優しい思いやりの言葉で人に接する。
4.身施:自らの身体で人に奉仕する。
5.心施:人の喜びを我が喜びとし、人の悲しみを我が悲しみとする。
6.床座施:席を譲ること、自らの地位を譲ること。
7.房舎施:雨や風をしのぐ所を与えること。
総てを行うことは無理でも、眼施、我顔施、愛語施なら務めることもできよう。

(注)畑で栽培している野菜類
畑では、定番のジャガ芋、サツマ芋、里芋、大根、人参、白菜、南瓜、トマト、胡瓜、茄子、法蓮草、葱、玉葱などの他に、菜花、キヌサヤ、伊勢芋、ズッキーニ、十六ササゲ、アスパラ、パセリ、赤カブなどを育てている。果樹をいえば、柿、無花果、蜜柑、酢橘、カボス、ブルーベリー、ブラックベリー、キウイ、枇杷などを植栽している。渋柿も栽培しているので晩秋には干柿づくりが毎年恒例である。

(注)畑や庭に植栽する花木類
このサイトでは鄙桜を毎春取り上げているが、花樹ではサクラが筆頭である。山桜《鄙桜》、大島桜、河津桜、御衣黄桜、枝垂れ桜、もちろん染井吉野もある。花も実もある梅の他にも、藪椿、山茶花、花海棠、蠟梅、平戸、皐月、三ッ葉躑躅、山法師、花水木、夾竹桃、木槿などがある。時季が訪れば香りを漂わせる金木犀やクチナシも忘れてはならないし、黄紅葉を愛でる楓や銀杏は秋の深まりを報せてくれる。常緑樹の楠、槙、珊瑚樹に松、五葉松、杉、木斛などや赤い芽を吹く南京黄櫨も書き加えておこう。薔薇、水仙に万年青や著莪、石蕗、藪蘭もほとんど自生だが季節が巡れば花をつけてくれる。 いずれの草花も樹々も多品種少量栽培であるが、晩夏と初冬にはこれらの樹々の刈込みもひと仕事である。

《09.01 追記》
錦織圭が全米オープンで初戦敗退したと云う。ランキング41位のペア(フランス)に4-6、6-3、6-4、6-7、4-6のフルセットで敗れたと云う。世界には逸材が溢れており、番狂わせには違いなかろうがランク4位とランク41位の差も数字ほどではないということか。世界は広いと片付ける訳ではないけれど。

年毎に逼迫を増している日本財政は高齢者社会保障費の切り詰めを余儀なくされているのにも関わらず、来年度予算の概算要求は百兆円を超え国債発行額は史上最高額を更新している。赤字縮小財政均衡が優先か、景気回復が優先か悩ましいところではある。国債の日銀引き受けだって無期限に続けられると云うわけでもない。増えてゆく高齢者数に伴う高齢者社会保障費の自然増も避けられないけれど、高齢者医療費の質的転換やシビルミニマムの抜本的転換も検討されなければならないだろう。子供の貧困などという言葉を聞かされるのは胸が痛む。ここでも量的拡大政策から質的転換政策へが問われている。

そんななかでも防衛予算や建設土木予算が増え、国立競技場の建設も進むのである。次世代にツケを残すなと云いながら、放漫財政は続いてゆく状況を眺めれば、2030年を待たずに日本は破綻するだろうと云う若年世代の指摘を無下には否定できない。

昨日08.31 SEALDsが呼びかける国会前デモは主催者発表で延べ12万人、警察発表では3万人という。この数字の大きな落差は何をモノ語るのであろうか。

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