春雨のけむる暖かい朝です。叔父《母の二番目の弟》の三回忌法要にお参りした昨日、叔母《母の直ぐ下の弟の妻》が末期癌で入院したと知らされました。ふと、芭蕉の句が浮かびました。この句が詠う季節はまだしばらく先のことではありますが。
「行く春や 鳥蹄《なき》魚の 目は泪《なみだ》」《芭蕉》
孫が誕生して三ヶ月後に、春に先駆け寒さに耐えて凛と咲けと願いつつ、記念植樹した桜が開き始めました。鄙里に桜の春の始まりを告げる、植栽後三年目の春を迎えた緋色鮮やかな寒緋桜です。庭先の水瓶では水温む《みずぬるむ》春を喜ぶように、冬を越した白目高が群れていました。耕した畑では黒く濡れ光る土のうえに、風に散らされた梅の花びらが点々と季節の移ろいを見せていました。
今朝の中日新聞朝刊では、間もなく迎える被災後五年を前にして、照井翠さんの震災句集「竜宮」が紹介されていた。そのなかより幾つかを転載紹介します。
三・一一 神はゐないか とても小さい
双子なら 同じ死顔《しにがお》 桃の花
津波引き 女雛《めびな》ばかりと なりにけり
寒昴《かんすばる》 たれも誰かの ただひとり
ふるさとを 取り戻しゆく 桜かな 《以上 照井 翠》
「つばくらめ 日に日に死臭 濃くなりぬ」の句を読んだとき、まざまざと甦ってきた記憶がありました。 2011.04.27に中学時代の同級生たち数人と遠野から峠を越えて釜石市の北隣に位置する大槌町を訪れたときのことです。「被災地の桜 2011年4月28日」 より転載します。 五年と云う歳月を経たことで、照井さんの句集「竜宮」にも、自らの大槌町訪問記事にも正対できるような気がするのです。
私には、自分が見たものを、言葉にして伝える力がありません。テレビ映像や新聞報道から想像していた状況と同じなのですが、被災地の真ん中に立った時感じたものを表現する力はございません。
車の音は聞こえます、海鳥の鳴く声は聞こえます、ときおり人の声も聞こえますが、異様なほどの静寂を感じます。 常であれば潮の香りが漂っているはずです。 常であれば町なかの様々な音が聞こえてくるはずです。 買い物客の会話、交差点の信号音、行き交う車、いつもの町のいつもの光景のありふれた音や景色があるはずです。
何もありません。 あるのは破壊された残骸と瓦礫の山、他には所々で作業する警察や自衛隊の人たち、何かを探すのか佇んでいる人、かつての町の中心街をはずれた山あいの、とある入り江には人影もなく、残がいすらも波にさらわれたのか建物の跡らしきものと潮風の音だけがあります。
海が間近なのだから潮の香りを感じるはずなのに、被災後一ヶ月半を経ても漂ってくるのは表現し難い異様なニオイです。 目を山側に移すと、なぎ倒された木々のあいだに人々の生活の痕跡を示す様々なものが、津波の到達位置を示すかのように残されています。
照井氏は日本記者クラブの講演のなかで、俳句の特徴を「キレ」と「季語」であると語っている。彼女が3.11震災を詠んだ幾つもの句はリアルであり生々しくあり、震災当事者のなかには句集を開くことさえ辛くて出来ないと云う人もいると言う。でも俳人であるがゆえに、俳句を詠むことで、俳句の「キレ」と「季語」という手法を用いて語ることで、震災の記憶をピュアに表現してゆきたいと述べている。
youtube 動画 照井翠氏「俳句で語る釜石-震災当日から現在まで」日本記者クラブ
「キレ」 句の中で切れ(終止)る働きをする字や言葉。 や、かな、けり、なり、ぞ、がも等がある。切れ字を用いることで余白を生み出し、「行間」、「字間」、「紙背」を読者に想像させる働きをもつ。余白に語らせるともいえる。
「季語」 特定の季節を表わす言葉のことである。前掲の俳句のなかでは、桃の花、女雛、寒昴、桜などである。 十七文字と云う極めて限られた表現形式であればこそ、詠み人と読者のあいだに通じる情景や情感を描き出してくれる。
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