秋来ぬと

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども なのである。房総半島では風害激しく、俯瞰写真で見れば一面のブルーシートばかりである。昨年の9月、台風21号が当地に襲来し40mの暴風に煽られて、我が家の屋根瓦が何枚か破損した。修理を依頼しても立て込んでいていつの事になるやら分からないので、自分で修理したことを思い出す。

バックパックに差し替え用の瓦を入れて背負い、恐るおそる大屋根に登った。風台風の翌日は晴天だったけれど、雨降りが続けば雨漏りで悲惨な事になっていたことだろう。晴れた翌日に我が手で修理できたものの、あと五年もすれば足が震えて大屋根に登ることなど、とてもできないだろう。

《追記  2019.09.19》2019.09.09 未明から早朝にかけて、三浦半島から東京湾を縦断し千葉市付近に上陸した台風15号については、当地の昨年の経験もあるし、テレビも新聞も伝えていないから、当初は大したことはないと思っていた。しかし、その後に千葉県内房総半島各地の被害状況が伝わってくると、その被害の甚大さに驚いている。

15号が雨台風ではなく風台風(最大風速 40〜50m)だったことが被災状況把握に影響したと思われる。市街地や集落における屋根被害や電柱倒壊被害もさることながら、房総半島南部山間地域における倒木被害が大きく、それが電源復旧に大きく影響しているようである。倒木による道路の閉鎖、倒木が送電線などに被害を与えている状況など、雨台風被害とは様相を異にしている。

また電源喪失の範囲があまりに広いことから、病院などの非常電源喪失、携帯電話用の鉄塔電源喪失による携帯電話不通など、影響する範囲が大きく被害把握にも手間取った。千葉県の顔(森田健作)が見えないし、政府(安倍晋三)も未だに激甚災害指定に至っていない。

冷房も扇風機も使えず冷蔵庫も使えない高齢者が熱中症で救急搬送されたニュース、業者が依頼殺到で来てくれないから高齢者が屋根に登りブルーシート掛けをしていて転落されたニュース、シートを掛けていても雨漏りが酷くて住んでいられないニュースなどを見聞きすると、人ごとに思えず胸が痛みます。《此処までで、追記終わり》

昨日は9月の第三月曜日で敬老の日であった。昔の(昭和の頃)敬老の日には、75才ともなれば町からそれなりの記念品などが頂けたものだが、この頃では何の御沙汰も無い。まあ、座布団や湯呑みが欲しいわけでも無いので委細構わないことではある。年寄りの有り難味が減ったというか、こんなに年寄りが増えては世間もそうそう構っていられないのだろう。

それにこの頃の年寄りはとても元気で、六十代七十代は年寄りなんかではなくなった。八十代にしてからが、昭和の頃とは比較にならないくらい元気だ。個人差はあるにしても、枯れたとか皺びたとか侘び寂びなどとは縁遠い高齢者が増えた。という訳で初秋三題その一は様変わりの”令和の敬老の日”である。

初秋三題その二は「立ち待ち月(十七夜)」である。月の出が遅いから朝方五時半の西空高くに、まだ居残る月である。雲無く晴れそうだから今日も残暑が厳しいだろう。

初秋三題その三はムカゴである。ムカゴ(零余子、珠芽)とは、ヤマイモのわき芽が養分を貯え肥大化した部分のことである。 我が鄙里の畑に栽培するヤマイモに多くのムカゴができたので今宵は”ムカゴ飯”を炊き、副菜は”里芋の炊いたん”とする。初秋三題は、月とムカゴと”翁になれない齢75”というワケである。

《夜更けの追記》
ムカゴ飯を炊いてはみたけれど、独特の青くさい匂いが気になって、美味しく食べることはできなかった。実ったスナップエンドウで作る豆ご飯とは随分と違う飯である。美味しく炊けた里芋ともうボチボチお仕舞いの十六ササゲをを主食に、ムカゴ飯は経験しただけでお終い。昔出会った飛騨人はどうして”ムカゴ飯”をあんなに褒めそやしたのだろうか、不思議だ。

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