光陰は光速

「光陰矢のごとし」などと申しますが、大騒ぎをした2000年1月もふと
気付けば、残り一週間になりました。まだまだ、2月29日や3月31
日や、随分先になりますが2035年(2025年だったか)には、何か起きる
かもしれない。2035年にはPCの日付設定が全面改定しないと対応でき
ないなどと物騒な話を何処かで読んだ。その頃は多分、この世にいない
し、余命永らえて居たとしても、何ほどのこともあるまい。
先週、某所へ提出するファイルの日付調整の関係で、MyMainPC
の日付を3日遅らせておいた、それを元に戻すのを忘れていたら、この
間に作成したファイルは全て過去の世界に紛れ込んでいた。時間なんて、
仮想暦を細工すれば見かけの上では何とでもなる。この仮想と現実とど
ちらが仮想でどちらが現実なのか、暫くすれば判別もつかなくなる。
兎にも角にも、この暦程進行の早さには参ってしまう。「矢のごとし」
等と云うものではない。ロケットみたいなものだ。光陰光速のごとしと
云えば馬から落ちて落馬したみたいなことになるのか。
よく考えてみると、時間を早く感じるのは「記憶に残る己の生きた時間」
と「記憶を戻す一年とか一月とかの期間」との対比率に反比例するとい
う。3歳の1年は30%であり、50歳の1年は2%である。その小さ
さに反比例して、早さを感じるのだという。所詮、時間とか月日とか云
うものは、人間が勝手に区切ったものであり、やたらとそんなものに振
り回されるのは、早いとこ止めにしたい。
もう一つは、体力と集中力の低下が、経過時間と期間内処理量との対比
率を矢張り小さくしているのであろう。きんさんやぎんさんの様に悠々
綽々と生きるには、まだまだ余分なものを抱え込みすぎているし、生臭
さを残しすぎていると思う。
【きんさん、ご苦労様でした。合掌。
ぎんさん、お寂しいでしょうが、まだまだこの世を楽しんで、沢山の
土産話をきんさんのために仕込んで下さい。】
でも少しずつ、義理を欠くことを怖れず、恥をかくことに拘らず、欲を
かくことを忘れて生きたいと願う。
高齢化が進む世の中なればこそ、年長者はノサバラズ、デシャバラズ、
ヒガマズ、美しく粋であることを目標として生きたいと思います。
後進は畏るべし、そして生き方が後進の憧れになるように生きてみたい。
判ってます。無理でしょう。デモネ、ソウシタイト、スコシデモ、オモッ
テイナイト、ドンドン厭らしい中年になってゆくミタイなのですよ。
イイエ、誰のことでもありません。茫猿のことです。
もうすぐ節分です。「節分のお化け」という行事があります。
もし、時間を割いてお化けに出会えたら、Webで紹介しましょう。

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