祖谷のかずら橋

月末の飛び石連休を利用して、高知と徳島へ行って参りました。
30余年前の学生時代の悪友4人が、ゴルフと皿鉢(サワチ)料理とかづら橋を目指して各地から倉敷駅に集合し、瀬戸中央道・川之江JCT・高知道経由で二泊三日の旅をしてきたのです。

《2015.07.09追記》 この時から15年が経過して、先月末にメンバーの一人中村君が旅立ちました。改めて記事を読み直したのを機会に、当時は掲載できなかった写真を、ファイルを探し求めて挿入しました。


オジサン4名の旅ですから、急ぐこと無し、物見遊山無し、まさにゴルフと皿鉢とかづら橋だけの三日間でした。皿鉢料理は土佐の栗焼酎を飲み過ぎてしまい、殆ど記憶なしというより、殆ど口に入れていないはずです。ドロメ(泥目・高知地方で、生で食べるイワシ類の稚魚)だけは丼鉢に山盛りあって充分頂きましたが。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

第一日目 臨水亭での宴会、左から縫谷、松田、中村

【鏡川河畔の「臨水料亭」の美人女将の土佐弁は、坂本龍馬の乙女姉さんもあんな感じだったのではと思わせる、とても耳に小気味よいものでしたことを、付け加えておきます。】《鏡川河畔 料亭旅館臨水

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
臨水料亭女将と中村君

今月始めに買ったばかりの「OLYOPUS・E10」を持っていったのですが、フラッシュを焚くのにレンズフードを付けたままでしたから、肝心なところをフードで蹴飛ばされたり、フラッシュ電源の充電が不十分だったりして、コンパクトフラッシュとスマートメデイア合わせてほぼ100枚もの「2240×1680PIXEL・10.8MB」画像の約1/3が、画像調整を努力しても使い物にならない有り様でした。
宣伝の意図はありませんが、「OLYOPUS・E10」は充分使い物になるデジタル一眼レフです。レンズ交換ができないのは難点ですが、コンバージョンレンズがありますから、さほど不自由は感じません。
主な仕様は、400万画素、35~140mmズーム(広角コンバージョンレンズを装着すれば28mm相当)、60cm接写可能、連写は4枚/秒、記録媒体はCFとSM同時対応で媒体と記録画素数次第では200~1000枚くらいの記録が可能です。鑑定の業務用機材としては充分な性能と云えるでしょう。《この後間もなく他のカメラ、たぶんキャノンEOSに替えたと思われるので、このカメラの記憶は殆ど無い。》

 

さて、皿鉢の翌日のゴルフのことは飛ばしまして、(宴会がたたってか、約1名は殆どゴルフになっていませんでしたし。)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

中村君のナイスショット

三日目のかずら橋ですが、秘境の釣り橋というイメージが殆ど無いのには驚かされました。何せ橋のたもとに駐車場があって歩く必要なし、下流側約100mに車両通行可能な永久橋があって駐車場へ戻る観光客の便宜を図っているのですから。
勿論、渓流は美しいし、葛(カズラ)の太さも立派なものです。橋を渡るときには前だけを見ていないと足がすくむのも楽しめます。(おのれも他人も含めてです。若い人が少なかったから華やかな嬌声に欠けていたのが残念。)
柚子や蒟蒻を売っていたおばあさんに祖谷の粉ひき唄を歌っていただけたのは嬉しかったのですが、期待していたような祖谷蕎麦には巡り会えず、柚餅子 (ユベシ)を買ったらゼリーみたいな菓子でがっかりという旅でした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

かずら橋を渡る中村と松田

岐阜で祖谷の蕎麦粉を用いたほのかに甘味のある旨い蕎麦をよく食しているものですから、本場にも手打ちのそば屋さんがあるだろうと期待していたのですが。阿波池田の町を探しても目立つのはうどん屋さんだけでした。
探し当てた阿波池田駅前のうどん屋さんで、「蕎麦も手打ちです」と云うことでしから喜び勇んでざる蕎麦を注文したら、夏のみの限定で秋冬は暖かい蕎麦しかやってませんといわれてしまったのも土地柄でしょうか。

《2015.07.09追記:二泊目の宿泊地も宿も忘れていたが、この写真から新祖谷温泉ホテルかづら橋を思い出した。 この宿には露天風呂へ通じるケーブルカーがあったことも思い出した。宿の詳細はHP新祖谷温泉ホテルかづら橋

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

二泊目の宿・ホテルかづら橋   出立の朝

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

昨夜と変わる清廉な宴会である

出立前の朝の散歩? 背景はたぶん祖谷峡?

PB260999JPGそんな訳で、泥目とハチキン女将だけが記憶に残った土佐と祖谷の三日間でしたが、高速道路が延伸してゆくなかで秘境が秘境でなくなり、物産の地域性を維持してゆく難しさを改めて感じさせられました。
昨年4月に磐越西線の旅をしましたが、喜多方近くの山都駅の桜を思い出しながら土讃線だけの頃のかずら橋はどんなであったろうと考えるのは行きずりの旅人の感傷でしょうか。最近、徳島池田高校が甲子園に姿を見せないのは、蔦監督がお辞めになったせいだけではないのではと、フト考えたものです。

《いつもの蛇足です》
祖谷峡の近くに、大歩危、小歩危という渓谷が国道32号沿いにあります。この渓谷は国道から眺めるより土讃線の車窓から眺めた方が多分佳いでしょう。できれば、土佐から讃岐への車窓がよいと思います。 讃岐からの車窓ですと歩危(ボケ)が進みますが、土佐からですと大歩危から小歩危に軽くなります。何かと呆けが気になる年頃の茫猿でした。
《土佐・阿波の関係各位には妄言多謝。》

関連の記事


カテゴリー: 只管打座の日々 タグ: , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください