壬午の歳、賀状に替えて

【茫猿遠吠・・壬午の歳、賀状に替えて・・02.01.01】
今年は午年です。十干十二支で云えば「壬午」の歳です。瑞々しい駿馬のような歳になるのでしょうか、それとも何処も彼処も金属疲労を抱え込んだ老いた駄馬のような歳になるのでしょうか。
年越しの頃は雲間に満ちた月が見え隠れし、明けて昼間は晴れ時々曇り、一時雨そして霙 (みぞれ) 。
2002年はこんな天気で明けました。穏やかな正月の天候とは云えず、多難な今年を象徴するような天気でした。


先ほど茫猿の住まいから車で十分ほどの距離にある「お千代保稲荷」に初詣に行って参りました。お千代保さんの参道では例年の通り「止揚学園」の面条先生や学園のスタッフの皆さん数名が募金活動をなさっていました。面条先生はじめ皆さんに年始のご挨拶をし、短い立ち話をさせて頂きました。
止揚学園では園生の加齢が進み、元々肉体的にも色々と弱い部分を抱えている人達ですから実年齢よりも肉体年齢の進行が早くて、入退院を繰り返す人も増えており何かと大変なようです。この正月も実家に返ることなく止揚学園で正月を迎えた園生が十五人もいるとのことです。
参道での立ち話ですから詳しくは伺えませんでしたが、福祉に対する社会の取り組みの変化は学園にも影を落としているようです。子供と老人への福祉の手は年々厚くなっていますが、18歳以上65歳未満に対する社会の取り組みは相変わらず谷間状態のようです。そんな状況で有ればこそ、多くの皆様の支援が大きな力なのですとは、面条先生が繰り返された言葉でした。
ところで今年は学園設立40周年の記念すべき年とのことでした。10/14には記念の行事を予定されているようで、「日程を明けておいて下さい」と、正月早々嬉しいお話を頂きました。今でこそ、比較的安定し社会の理解と支援も増えている止揚学園ですが、社会福祉の谷間にいる人々のために40年間も続く福井先生や面条先生の活動には、ただただ頭の下がる思いです。
話は変わりますが、振り返ってみて昨年はひどい年でした。
ニューヨークのWTC自爆テロに始まって、戦後50年余を経て世界有数の装備を持つ軍隊に成長した自衛隊が初めて海外に派兵された、いわば記念すべき年でした。
マスコミ論調も一時の興奮がようやくに収まって、テロをもたらした背景に論及する記事も見られるようになりました。自衛隊海外派遣についても、冷静に全体を見つめる記事が増えてきたように思います。自衛隊海外派遣といいましたが、自衛隊は世界の常識から云えば軍隊に紛れもなく、軍隊を軍隊として海外へ送り出す以上、派遣ではなく派兵というのが正しい日本語だと思います。
敗退を転進と言い換えた大本営発表の伝統を引き継いで、戦後に敗戦を終戦と言い換えて以来、今回も派兵を派遣と言い換えてことの本質を糊塗する日本人気質は変わりないようです。人員整理をリストラと言い換えると云うよりは問題を封じ込めてしまう言い換えは言霊の国の本質を現しています。
別の言い方をすれば、これらは単なる言い換えではなくて、問題の先送り体質であり、正確に定義付けされた言葉を用いて論議を深めることなく問題の本質から目をそむけさせる政界・官界・マスコミの常套手段だと思います。
同時に国民の多くも正確に定義付けされた言葉を、正しく用いて正面から議論に向き合うよりも、曖昧なままで問題を先送りするぬるま湯的在り方を好んで選択するということを投影している現れなのでしょう。
茫猿の本業である不動産鑑定について云えば、鑑定評価基準改訂作業は順調にというか、どんどん作業日程が進んでいるようです。一般の鑑定士にとって意見を述べる多分最後の機会であろう「パブリックコメント」の締め切りは1/15であり、その後は次年度当初に予定されている改定基準の発表とその後の義務研修会日程が待っているだけでしょう。
鑑定士の鑑定評価に大きく影響する改訂作業ではあるのですが、鑑定業界の関心が高いようには見えません。ウエブサイトでも鑑定協会広報でも日程告示はあっても議論が活発化している様子は見えません。鑑定士の多くは何を言っても無駄、スケジュール消化に過ぎないと悟りきっているのでしょう
か。
不良債権処理以来、デューデリジェンスをいわゆるデューデリと云う似て非なる言い換えを行い、価格概念を拡張に拡張を重ねてきた総仕上げをするだけの改訂なのでしょうか。
・・・・いつもの蛇足ですが・・・・・
昨年に引き続いて、賀状は一枚も出せませんでした。頂く賀状の数が増えてしまい、文面も宛先もパソコン頼りとなったのが一昨年、昨年はその虚しさに耐えきれず賀状をなし崩し的に出さずじまいにし、今年は印刷だけの賀状ならば止めようと決めて賀状の用意も無し。
賀状を頂いた皆様には、このサイトを借りて欠礼のお詫びを致します。もう一つ言い訳を加えますと、年末に頂いた喪中挨拶状が例年になく多かったのも賀状を用意する気が失せてしまった理由の一つです。
いずれ、寒中見舞いでも用意できればと、今は思っています。
兎にも角にも、義理を欠くこと怖れず、見栄を欠くことを望み、恥をかくこと厭わず、そんな三カキ人生を少しづつでも極めてみたいと思っています壬午(みずのえうま)の春です。
4年目の春を迎えることができました「鄙からの発信」です。新春第一報は「謹賀新年」から始めるのが礼儀でしょうが、「正月や 冥土の道の一里塚」とも云いますし。「目出度さも中くらいなり おらが春」とも云います。
12/31/2001から数時間経っただけで、全てが変わってめでたくなる訳もなく、去年のことが解決できた訳でもありません。茫猿にできることは、せめて健忘症にならないように、今年も飽きることなく繰り返し書生論を述べることに処世の術を見つけたいと思い定めております。

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