新基準を考える・倫理高揚

【茫猿遠吠・・新基準を考える-倫理高揚・・02.10.10】
 不動産鑑定評価基準が改訂され、(社)日本不動産鑑定協会主催の改訂基準研
修会が全国各地で実施されています。改訂新基準は02.07に公表され、03.01.01よ
りは施行されるものです。
 新基準公表以来と云うよりも、改訂作業が開始されて以来、茫猿は少なからぬ
違和感を感じていました。また、某誌より新基準に関して寄稿勧誘もございまし
たが、この感じている違和感をうまくまとめることができず投稿は断念しました。
「鄙からの発信」において今まで何も発信できなかったのも、この違和感が原因
です。今でも十分にはまとまっていませんが時宜を失しないように、感じている
違和感について一つずつ発言してゆきたいと考えています。
 鑑定協会主催の研修プログラムは、午前中が倫理について、午後前半が改訂の
概要、後半がケーススタデイでした。この時期に倫理が研修テーマになったこと
については、それなりに意味があってのことでしょう。
景気がデフレ状況から抜けられず、地価の下落傾向も都心の一部を除けば底が見
えない状態にあり、企業の不祥事が次々と明るみにでる昨今ですし、専門職業人
の在り様についても様々な論議が起きています。
 そのような状況のなかで、基準改訂を契機に改めて職業人倫理を高揚したいと
考えてのことなのでしょう。
 高潔な倫理の保持を求めることに、異論はありません。今更に倫理高揚を求め
られなくとも鑑定評価基準1章4節には「専門職業人として求められる不動産鑑
定士の責務」が掲揚されていますし、不動産鑑定士という称号の独占的使用が認
められる者としては「ノブレスオブリュージュ」が求められることであり、その
ことについては以前にも「鄙からの発信」に記事を掲載しています。
 茫猿が違和感を感じるのは、不動産鑑定士に「倫理保持・倫理高揚」を求める
だけでいいのであろうかということです。倫理というものは道徳であり、内面的
なものです。
 高い道徳性の保持は当然のことですし、常に注意喚起を続けねばならないので
しょう。しかし改めて注意喚起を促されると、専門職業人を自負する者としては、
いささか情けない思いをするのも否定できません。
 「高い倫理の保持」ということは、鑑定士の内面に関わることでありますが、
同時に鑑定士のみに求められるものではなく、社会人全般に求められるモノであ
り、少なくとも専門職業人には当然のこととして社会が期待するモノでありまし
ょう。茫猿は倫理以前に考えなければならないことがあると考えます。
 鑑定士個々に、「内面的な在り様である高度な倫理性」を要求する前に、倫理
観が保持できる外面的(外形的)環境を整えることが必要であろうし、その時期は
既に到来していると茫猿は考えるのです。
 不動産鑑定評価というものがジャッジメントである以上、鑑定士は鑑定評価を
行うに際して高い独立性や高度な自主性を求められるモノであり、その独立性・
自主性は鑑定士個々の内面的倫理観に委ねるだけではすまされないと考えます。
 鑑定士の独立性・自主性というものは、まず最初に外面的に担保されなければ
ならないと考えるのです。つまり、鑑定評価書の必要記載事項である「縁故、利
害関係の有無」について、鑑定士と対象不動産及び当事者との縁故・利害関係の
有無を記載するだけで足りるであろうかと考えるのです。
 つまるところ、こういうことです。
不動産鑑定士が、「本件評価に際しては、公平妥当な見地に立ち、自主・独立の
立場より鑑定評価を行いました。」と鑑定評価書に記載するだけで、事足りるの
であろうかと考えるのです。
 公平妥当、自主・独立性を外形的にも担保し、社会に認容される外形的環境を
整えるべきであろうと考えるのです。いわば「瓜田不納履、李下不正冠」という
ことです。具体的に言えば、鑑定評価の組織や構成員が大手小手営利企業の一部
門である状況や、資本的あるいは名称的に系列企業である状況を糾して、独立し
た鑑定法人もしくは鑑定事務所である形態を実現させることが急務であろうと考
えるのです。
(このことは、鑑定士が出資設立する鑑定評価等専業の営利法人形態を直ちに否
定するものではありません。)
 根源的には、不動産鑑定評価依頼者から報酬を得ておきながら依頼者に対して
完全なる独立性・自主性・中立性を堅持すると云うことは至難なことなのかもし
れません。しかし、不動産鑑定評価制度というものの主旨が其処にある以上、そ
の主旨に離反しない外面的・内面的立脚位置を守ることが求められるのであり、
その努力を継続することにしか、鑑定評価の信頼性をかち得る方策はないのだと
考えます。だからこそ、鑑定士に求められる高潔な内面性を少しでも高めるため
には外形的・外面的環境整備が欠かせないと考えます。
 この件に関しては「鄙からの発信」に、過去にも何度も掲載していますから、
重ねて多くを語りませんが、鑑定士個人に倫理を求めるのは当然のことですが、
それ以前に個人の倫理を損ないかねない環境を糾すことが先ず求められていると
思うのです。
 同時に公益法人の実態が業益法人化している状況を自ら正してゆく姿勢も今こ
そ求められていると考えます。何よりも他者に促されて改善するような事態は避
けたいものです。社会が疑念を抱きかねない状況を自ら糾してゆくことこそが、
真の自主・独立であり、高い倫理観の実現なのではないでしょうか。
こういった鑑定評価業界の現状を放置しておいて、鑑定士個々に倫理観を求める
(社)日本不動産鑑定協会の姿勢に違和感を感じるのです。
追伸
今回は倫理について少なからず青臭い書生論を申し上げました。
次回以降は特定価格、DCF、説明義務、ザイン・ゾルレンなどについて順次、
遠吠致して参りたいと思っています。
・・・・・・いつもの蛇足です・・・・・・・・・
 人として、高い収入を願うことを否定しませんが、鑑定士に求められる第一の
規範は「やせ我慢の哲学」であろうと考えます。報酬は二の次三の次であり、報
酬や収入を第一に考えだすと、梨畑で帽子を直すようになり、瓜畑で靴紐を結ぶ
ようなことになるのでしょう。
・・・・・・・本稿終わり・・・・・・・

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