駆け足の函館

札幌シンポジウムの後は懇親パーテイ、二次会会場は今月で閉館のキャバレー・エンペラーである。2003年のやはり九月、北海道会三十周年記念式典に訪問した時もご案内頂いた、今や全国の何処にもないスタイルのマンモスキャバレーである。その時は寺内タケシとブルージーンズの公演であったが、今回は九月閉店のサヨナラショーが公演されていた。


その後もお寿司屋さんにスナックにラーメン屋さんと、早めに宿に帰った茫猿を尻目にススキノの夜を満喫していた岐阜からの同行二人、その面倒をみて頂いた北海道会の皆様、本当にありがとうございました。Web上からではございますが、篤く御礼申し上げます。
翌朝も六時起きで、札幌駅に向かいスパー北斗の乗客となり函館へ向かうのである。事情はこういうことである。岐阜会公式研修ツアーの参加者が集まらず中止になった後で、急遽駆り出されて決めた北海道行きである。行きは良い良い、帰りは満席である。そこで函館から帰ることとなったのであるが、三名の内一名(茫猿)はキャンセル待ちということであった。キャンセルがなければ、茫猿はまだ函館に居たかもしれないのである。
昨夜の酒が抜けきらず未だ夢幻の小父さん二人を抱えて函館までの旅である。早朝の売店で迎え酒用の缶ビールをシコタマ買い、当然に朝飯&お摘み兼用のお寿司やら乾き物やらを求めて重い荷物を手にホームの階段を昇り降りする度に、こんなことならキャンセルが無くて独り旅の方がよかったとボヤク茫猿であったのだ。茫猿62歳、同行者の小父さん達は敬老精神の欠片もなくただただ人使いの荒い57歳と59歳なのである。
 今回のミニツアーの目的の一つ五稜郭である。函館の一つ手前「五稜郭駅」で北斗を降りて五稜郭に向かう。右の写真は五稜郭タワーから真下に見る五稜郭城跡である。浅田次郎の壬生義士伝の最後を飾る吉村貫一郎の嫡子と土方歳三終焉の地である。

 日本最初の西洋城郭である五稜郭の設計者である武田斐三郎氏の碑の前でポーズをとる、迎え酒のあとは車中爆睡してスッキリした同行二名氏である。

 市内にあるロシア正教会の前で、右端が茫猿である。中央は元士協会会長I氏、左は前会長K氏である。
 男子禁制尼僧ばかりののトラピスチヌ修道院である。
 函館山である。日本三大夜景である。長崎、神戸は観たが、今回も函館の夜景はお預けである。
 あちらこちらで下水マンホールの蓋が美しくなっている。函館のそれは烏賊マンである。
 ついでにと云うか遂にというか、ハリスト教会も蓋意匠にしてしまったのであるが、足で踏むものであるから如何なものかと思う。回教寺院なら一騒動であろうし、茫猿だって東本願寺御影堂であれば、一言あるだろう。他者の信仰に敬意を払うと言うことは大事なことであり、それあって初めて我が宗旨にも敬意を見せて頂けるのであろうと思います。函館市下水道局の皆様、宗教関連のデザインは考え直されたら如何なものでしょうか。

関連の記事


カテゴリー: 只管打座の日々 タグ: パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください