閉塞感と曲がり角-Ⅱ

 報道に拠れば景気拡大月数が「いざなぎ景気」の57ヶ月に並んだという。拡大月数だけで云えば史上空前の好景気である。だが、好況の実感はない。そこに統計のトリックは隠されていないだろうか。


 三種の神器(TV、洗濯機、冷蔵庫)で沸いた神武景気は1955〜1956年、岩戸景気は1958年〜1962年、三C(車、クーラー、カラーTV)に沸いたいざなぎ景気は1965年〜1970年当時のことである。直ぐに思い浮かぶのは成長の母体である日本経済の40年前と現在の規模格差である。
 1950年代から現在まで通しての長期統計が手許にないから、正確なことは云えないが、若干の資料から経済規模の大きな違いが認められるのである。
・国内総生産対比では、1960年:13兆6千億円、2004年:500兆円の違いがあり、格差は37倍である。
・法人税収対比でいえば、1955年:1800億円、1960年:5500億円、1970年2兆4千億円、1990年:18兆6千億円、2003年:9兆8千億円であり、バブル期の90年は60年対比では格差34倍である。
 明らかに、幼児と大人くらいの規模格差が認められるのであり、所得倍増計画を数年で達成してしまった時代と比較すること自体が無意味なのである。
1960年当時、GNP対比で10%成長の実額は1兆36百億円である。この実額は2004年GNP対比では、誤差の範囲とも云える僅か0.27%にしかならないのである。
 殆ど横這いに近い成長率でも統計上は景気拡大に違いないのであるし、バブル崩壊後長らく続くデフレ基調のなかでは、名目成長と実質成長の乖離も生じているはずである。政府発表を鵜呑みにして表面的数字面だけから好景気を囃すマスコミ論調は、眉唾で見ていたいものである。
 話が少しそれるがワーキング・プアというテーマがある。働けど働けど我が暮らし楽にならざりしということである。地域差があるもののタクシー運転手の年収は、増車に関する規制緩和で厳しい状況にある。全国平均数値は300万円である。両親と学童二人の4人家族の諸手当を含めた標準的生活保護支給額がほぼ近似水準にある。生活保護にも満たないとか、生活保護の方がマシという話は冗句などではないのである。
 こういう表現をすると「生活保護給付水準が高すぎる」と短絡する人々がいるが、そうではないのである。社会的に弱い層にしわ寄せを重ねているだけのことなのである。民活、民営化、規制緩和、リストラと云った言葉が飛び交ったバブル崩壊後の平成という時代が呼び込んだ世相なのである。
 15年戦争そして敗戦という犠牲さらに戦後の復興努力という、30〜40年の血と汗の対価として日本人が手に入れた繁栄と福祉という社会的果実を、バブルという虚栄に踊った結果この十数年間で失ったといえるのだろう。
その意味では失われた二十年ではなくて、失い続けた二十年だったのではなかろうか。それはガットウルガイラウンド対策としての400兆円にのぼる赤字国際大増発から始まったのであり、この国債増発がバブルを招き寄せたと云えないだろうか。

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