下流喰い&Queen

 先日も呑みすぎた。(先日とは4/23、その前過ぎたのは4/16)  士協会の呑み会・正しくは歓送迎会が開かれたものだから、この頃は士協会活動に何の貢献も協力もしていないので、せめてもの罪滅ぼしに「枯れ木も山の賑わい」、「一人でも参加者が増えれば主賓の気分は宜しかろうし、主催者の面目も立つだろう」と考えて参加したわけである。


 でもいけない。地価調査分科会が終わったのが16時、歓送迎会の開始時間は18時である。二時間をどう潰そうかと考えていたら先輩につかまった。二時間の暇つぶしに付き合えという訳である。彼ともう一人、都合三人で柳ヶ瀬の某店:小さく小汚い店だがベラ棒に安いのと親爺一人で昼日中から営業しているのがウリセンの居酒屋で小宴会を始めた。
 出足がついているから宴会が始まると焼酎ロックでピッチを上げて、比較的早めに宿へは帰ったものの翌日は殆ど仕事にならない。実は茫猿は鄙の茅屋に居住しているからタクシー代行などで家まで帰るよりもホテルに宿泊した方が安くつくのである。安く附くというのは見せかけだけで、岐阜泊まりをイイコトに際限なく呑むから結局は高くつくし呑み過ぎにもなる。だから翌日は仕事にも何もならないのである。我ながら、懲りない呑兵衛よと呆れ返るのである。
 で、翌日の話である。例によってシネマコンプレックスに足を運び仮眠を取ろうというわけである。シネコンに着いたのが12時を回っていたから、次回上映時間まで2時間ほど余裕がある。だからチケットを購入した後に近くの本屋をブラツキ、飲食店でビール付き昼食を頂いたのである。考えようによったら優雅な老後である。昼日中から、ビール(ハーフ&ハーフ)、チキンスープカレー、ナン、書籍探し、映画鑑賞である。セミリタイア気分を満喫という訳である。(酒気帯び運転はしてません。念のため)
 購入した書籍は標題の「下流喰い」、観た映画は「Queen」である。
「Queen」は面白かった、ダイアナ元王妃がパリーで交通事故死してからの王室(女王)の一週間をえがいたものである。ともすればミーハー覗き趣味的になりがちであるが、王室の世代間価値観差、王家の日常、嫁姑対立、特に王室と民間人元王妃との対比、今に残る英国階級社会、王室と内閣との微妙な関係など、とても面白い映画であった。基本的に虚実の虚が大半というかフィクションであるが、Queenを演じたヘレン・ミレンがとてもよく似ているのと、ダイアナの実写フィルムが随所に挿入されるから事実なのではと思わされてしまう。多分、実に近い部分も多いのであろう。その辺りは虚実皮膜の間ということなのであろう。
 印象に残ったのは、王室狩猟場で女王が独りランドローバーを運転して川を渡ろうとしてスタックさせてしまい、雄鹿に遭遇する場面である。こみ上げてくる様々な思いに後ろ姿で肩を振るわせて泣く女王、近寄る雄鹿、気づいて狩り人の銃口から逃げるように手を振って鹿を追いやる女王。
 翌日、隣の別の貴族所有の狩猟場で狩りの的となってしまった鹿を想いを込めて見る女王。「コングラチュレーション」と館の主へ狩りの成果に祝詞を述べて去る女王。
 
 Queenを観てて思わされたのが皇室のことである。昨年「プリンセス雅子:菊の御紋の囚人」という豪記者が書いた本の翻訳版が出版中止になった事件があった。英国王室と内閣及び市民の関係、日本皇室と政府そして国民との関係やその成熟度を否が応でも考えさせられる。
 
 そして「下流喰い」である。悪名高い消費者金融の実態を告発する本である。
 いわゆるサラ金については、稿を改めて書きたいことが幾つかある。もう十年も前に縁者が多重債務者に陥ったからその実情は痛いほど知っている。サラ金を消費者金融と言い換えて、或いはリテール・ビジネスと呼び替えて都市銀行がサラ金を傘下に納めている実態、新聞やTVに溢れるサラ金コマーシャル、駅前に林立するサラ金ビル、煙草や酒の自販機が街角に溢れるのも問題だが非対面型自動貸し出し機が街角に乱立するのも大問題だ。
 サラ金に関する教育を何も受けていないから免疫力の無い若者に「手軽に利用できます、計画的に利用しましょう」と誘い込むのは悪魔的行為である。最近の「アルアル」事件と同じことで、TVでコマーシャルしてるから、新聞で広告されているからと疑うことなく「サラ金地獄」に誘い込まれてゆくナイーブな若者達や主婦や中年オジサンの実態はとても深刻である。
 サラ金:ヤミ金の三種の神器はタネ銭・携帯電話・銀行口座であるという、名簿・携帯電話・銀行口座と変われば「オレオレ詐欺、振り込め詐欺」の三種の神器である。しかもこのヤミ世界は「豊田商事」や「天下一家」の昔から地下水脈は連綿として続いているのである。
 詐欺・脅しのノウハウ、名簿などなどが今に至るまでつながっているのである。そう云った、いわば裏社会の怖さを教える副読本として中学校や高校で採用してほしい本である。

何よりもYahooブックスが紹介する惹句である。
格差社会の暗部で、弱者が借金漬けにされている。デフレ経済下、大手消費者金融会社は低所得者層を貪り、肥大化してきた。いま、その甘い蜜を求めて大手銀行と外資企業が争奪戦を演じている。その一方で、多重債務に陥った利用者は、ヤミ金に全てを奪われた挙句、深い闇に沈められる…。貸し手と借り手の双方に生じている変化を分析し、金融業界と日本社会の地殻変動を克明に描いた渾身のノンフィクション。

 アルアル事件も問題だが、サラ金コマーシャル漬けのTVや新聞も根深い問題だ。今やサラ金出稿がないと営業上とても困る事態に陥っているのだろう。だからサラ金・消費者金融の暗部追求や啓蒙的報道の影が薄いのだろう。同じ流れでジャーナリズムの営業優先・至上主義は「近未来通信」事件や平成電電(CHOKKA)でも露呈されている。広告と広報の境目がとても曖昧になっている現代だからこそ、ジャーナリズムは広告・広報媒体としての自らの責任を厳しく自覚してほしいものである。
 ナイーブな若者や主婦層を多重債務の地獄へと引きずり込む悪魔的行為に、自分達マスコミがどれほど深く関わっているのかという自覚が無いのがとても哀しいのである。コマーシャルとサラ金利用に因果関係は無いというのであれば、利用したとしても全ての者が多重債務者に陥るわけではないと言い抜けるのであれば、それこそ三百代言であるし詭弁なのである。なぜなら、重度サラ金利用者が増えることは即ちコマーシャル効果の実現に他ならないし、だからこそサラ金業界のコマーシャル出稿が増え続けている現実がある。
 ジャーナリズム自身の自浄能力或いは矜持といった文脈で今注目されるニュースは、高校野球の特待生問題、大学社会人ドラフトの裏金契約金問題である。いずれも野球にまつわる問題だが、選抜高校野球主催は毎日新聞、夏の甲子園主催は朝日新聞、社会人都市対抗主催は毎日新聞、プロ野球は云わずと知れた読売新聞、何処がどこまで「皮を切り、肉を切らせ、骨を断つのか?」それとも互いに傷をなめ合うのか。推移が興味深いのである。

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