梅雨時の紅と白

 梅雨を思わせる雨に打たれている花二題である。白の「やまぼうし」、朱の「はなざくろ」なのである。波立つ思いや泡立つ思いに心揺さぶられることが少なくなって久しいような気がするのである。ただただ乾いた風が吹き抜けてゆく、それも音もなく息継ぎも無しに吹き抜けてゆく、そんな思いに漂うている今日である。


 花ざくろである。この花も雨模様によく似合う。

 白のやまぼうしである。雨に濡れると風情が増す花である。
「人間復興」の経済を目指して  (城山三郎、内橋克人) 朝日文庫
 世に薦めたい書である。ただひたすら効率化のみを云う人たちに勧めたい書である。鑑定評価を行う者がその底流に何か指針が要るとすれば、茫猿は持つべきと考えるのであるが、それは城山三郎であり内橋克人なのであろうと思うのである。 

【解説より抜粋】 城山三郎を「絶対に形の崩れない男」と評したのは、城山の友人で人物評論家の伊藤肇だった。その評をもじれば、内橋克人も「絶対に時代に流されない男」である。私はこの二人を指針として経済を評論してきた。(佐高 信)

城山三郎の昭和 (佐高 信) 角川文庫

【解説より抜粋】 世代をこえる試みをかさねなければ、体験者の死とともに、その体験は消滅する。だが十分な語り部を得ることができれば、先人の体験と思考は、知恵として、教訓として語り伝えられ、受けつがれてゆく、それは「歴史」を作るということでもある。(澤地久枝)

 
 城山三郎、澤地久枝、内橋克人、佐高 信、もう一人加えれば藤沢周平
この人たちの紡ぎ出す言葉の(詩)のなかに居ることを実感する時に、「至福のとき」を味わうのである。
いま「俺は君のためにこそ死ににいく」というタイトルの映画が上映されている。「パッチギ-2」と見比べれば戯れ言など不要である。パッチギには抵抗を感じるという人であれば「ホタル」と比べればよいのである。
間違えてはならないことは、「ミクロの世界に埋没してはならない。」ということである。特攻の悲劇については、城山三郎氏も晩年に一書を著している。氏にすれば「大義の末」以来、抱き続けてきた畢生のテーマなのである。
一人一人の死は崇高なものであり、誰一人異議を差し挟めるものではない。でも決して忘れてはならないのは「誰があの無惨な作戦を立案実行したか、誰が辛い死に追いやったか」というマクロ的視点である。

『恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。』(1941年、陸軍大臣東条英機の名で出された将兵のための道徳書:戦陣訓より)

その上で、坂口安吾より「特攻隊に捧ぐ」を読んでみるとよい。

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