続・さくら

 まだ櫻である。いささか食傷気味ではあろうが、二階(貝)の女も気(木)にかかるサクラである。


 青空と紅の絨毯と淡い桜色の鮮やかな対比に息を呑んだのである。しかも淡い桜色としか表現できない己の語彙力のつたなさも思い知るのでもある。

 次いで、コメント不要、みごとなシダレザクラである。
 
いわれもよく判らないが、サクラには似つかわしくない名前である。
酔客には戒めになるだろうか。 ところが、Web検索したら唐実桜とある。
渡来種であり実は食用になるとのこと。別名はシナミザクラ(支那実桜)ともいい、本家中国では桜桃というらしい。絡み桜ではなく唐・実桜なのである。
ところでサクラは植物分類的にはバラ科サクラ属に分類され、ウメやスモモなどと近縁種に位置する。

満開時にはみごとな花のトンネルだろうと思われる、蕾膨らむ紅枝垂れ。

これも美しい、何よりも可憐である。レンゲツツジの群落は岐阜県東濃地方に多いのである。5月上旬の頃に中央高速道路瑞浪IC付近の土手(高速道路法面)によく見られる。

つがいなのだろうか、呼吸ぴったりの鴨のシンクロナイズドスイミングである。

 川原の枯れ芦のなかで孤独を楽しむかのような青鷺君。

 ところで、最近の街路樹に植えられるアメリカ・ハナミズキといい、一時多かった公孫樹やサツキなどにも言えることなのであるが、なぜ同じ種類を一斉に植えるのであろうかと少しばかり残念なのである。何処へ行っても公園も土手もソメイヨシノ桜ばかりというのはいささか芸がないのである。隣の町がソメイヨシノならば、我が町はヤマザクラとかエドヒガンサクラとか大島サクラという独自性を発揮できないのだろうかと思うのである。横並び主義が桜にまで及んでいるかと思えば寂しいのである。
 なによりも、サクラの花は合間あいまに若緑の新芽が芽吹く柳があればなお華やかなのにと思われる。古歌にも云うではないか「見わたせば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の 錦なりける(素性法師)」

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