直島・地中美術館_Ⅳ

さて、四国の旅二日目(08.04.09)は、早朝に宿を出て直島に向かうのである。直島での移動手段は町営バスかレンタサイクルか徒歩である。直島行きのフェリー切符売場の女性に勧められた自転車を借りたのであるが、これが結構な難行であった。


なにせ島の道である。宮浦港から海岸沿いの道を地中美術館に向けて漕ぎ始めたのだが、港を離れて少しゆくと登りの坂道である。峠を越えれば降りが待っていると同伴者を説き伏せて漕いでゆくのだが、少し降るとまた登りである。おかげで自転車を押しながら進むハメとなったわけで、バスにすればよかったと後悔しても先に立たずである。それでも悪いことばかりでもない、ミツバツツジ群生地を眺めたり、まだ花を残すヤマザクラを眺めたりと自転車ならではの旅を続けること約一時間、この旅の第二の目的地「直島地中美術館」に到着する。
この美術館もイサムノグチ美術館と同じで、カメラ持ち込み禁止である。だから写真は何もないのであるが、安藤忠雄氏の設計による地中美術館は建物自体が展示物なのである。回廊を上り下りするうちに、クロード・モネの部屋、ジェームズ・タレルの部屋、安藤忠雄のコーナー、そしてウォルター・デ・マリアの部屋のに至るのである。
高松港から島に帰る次男が、「地中美術館にゆけば、芸術と宗教の相似性が判るよ。」といった意味が部屋を巡る内に判ってくる。モネの部屋では一枚の空の額が展示されていた。白いユニフォームを着用した職員に伺えば、開館当時は借用した絵が展示されていたが、今は返却して額のみが掲示されているのだと言う。ところが額のなかの背景布(和紙?)が、天井から射してくる自然光を受けて微妙な風合いなのである。横にたたずむ職員のなにやら宗教的でもある白一色のユニフォーム、壁のクリーム色と合わさって、不思議な空間を構成しているのである。
タレルの部屋のテーマは光である。変化する光を浴びていると妙な気分になってくる。安藤忠雄氏の手になる建築の特徴は打ちっ放しのコンクリートである。無機質この上ないが、そこに光が微妙なコントラストを描いているのである。そして、最後はウォルター・デ・マリアの部屋である。モネの睡蓮に始まり、光とコンクリートを経て、階段の上に鎮座する球体に至るのである。
ユニフォームも美術館概要もそれぞれの部屋も充実するサイトで確認していただく外はないのであるが、マリアの部屋に至って茫猿は「猿の惑星」に出てくる神殿を思い出した、ミサイルの代わりが球体なのである。二礼二拍一礼しようかと思ったくらいである。(もちろん、そのような失礼なことは致しませんでしたが)
モダンアートなのだろうし、直線と曲線と無機質と自然光が織りなす世界なのであろうが、芸術と宗教の相似性を感覚的に理解したのである。いずれにしたって、太古以来、芸術は宗教の下僕であったり、同伴者であったり、時に協力者であったのだから、斯様な展示から宗教的啓示を得たとしても不思議はないのである。ただ、キリスト教芸術や仏教芸術(音楽、美術、建築)にしても具象的存在であり、抽象性は低いのであるから、このような展示や景観からうける啓示は宇宙的現代的宗教観と云わざるを得ないのである。
なにしろ、階段の下から巨大な球体を眺めれば(拝めば)、今にも転がり落ちてきそうで、鑑賞よりも畏怖心が先に立つのである。
※地中美術館から本村に至る道沿いに展示されるアートである。ゴミ箱ではない。

※地中美術館のチケットセンターである。

※チケットセンターから美術館に至る坂路の修景である。行きはそうでもなかったが、帰りはなぜかほっとしたのである。ほっとしたと云えば、美術館内の地中カフェはテラスから屋外に出ることができる。飲み物と軽食を持って戸外に出れば、瀬戸内多島海の絶景である。用意されている円座を敷いて座れば、宗教的強迫感から解放されて、とても癒されるのである。

※本村エリアの家プロジェクトである。

※直島は人口3600人ほどの小さな島であるが、予算規模37億円である。岐阜県の類似人口規模七宗町(4700人)の予算規模約26億円と比較すれば豊かさが理解できるのである。豊かさの根源は三菱マテリアル直島精錬所に拠るところが大きいのであろう。最近は産廃の中間処理施設も引き受けているのである。その豊かさを示すのが石井和紘氏設計の小学校に現れている。

※極め付けは、『直島飛雲閣』と町自らが称する役場建物である。

以上についての詳細は下記のサイトで確認されたい。
直島町公式サイト
※直島・家プロジェクト
※三菱マテリアル・廃棄物処理事業
※町は、幼稚園、小学校、中学校、福祉センター、役場など全10個所の施設を紹介する「直島建築」というパンフレット(300円)を販売しているのである。
【直島建築ファイルを開く】
※『鄙からの発信』定番、直島の蓋である。どういう訳か、格別の芸術性も意匠性もみえないのである。

ところで、地中美術館から本村にある役場を経て、小学校前経由宮浦港までの道程は降り道並びに比較的平坦路であり、行きは辛いが帰りは佳い々々であった。前回の島行きといい今回といい、茫猿の島行きはなぜかフクラハギが張ることが多いのである。
この夜はフエリーで高松に戻り連泊である。前夜はサイトで探した郷土料理店へ行ったのだが料金に対する満足度は50%以下だったので、この夜はタクシーなどの口コミを利用して食事店を探したのである。これが大当たりであった。カワハギ、カレイ、タコ、タイなどの地魚オンリーの刺身、煮付け、焼き魚、生シラスなどなど、瀬戸内の味を堪能したのである。
御坊町にある店の名前は「××チャン」、大将と長男が包丁を握り女将と次男が接客するという家族経営のこぢんまりした店であるが、対料金満足度は200%である。絶対額も前夜に較べてはるかに安いのである。一泊して島に帰り、前夜の店しか知らない次男には申し訳ないと思いながら地酒を空けたのである。
是非ともリピーターとして訪れたいお店であるから、詳しい情報は明かさない。客筋も地元客が大半で、茫猿のような一見観光客はとても稀とのことだった。お店探しはデジタル(iNet)に頼ってばかりでは駄目、アナログ(口コミ)に限るという教訓を再確認した高松の夜であった。

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