四泊六日

 先週の前半は、在京二泊三日(水~金)の朝帰り、金曜日は地元の会議出席、次いでまた在京二泊三日(土~月)の朝帰りで月曜は先約の現場立ち会いという、都合在京四泊六日の一週間という強行日程でした。一部は私用あり公務ありの在京でしたが、多くはNSDI-PTの背景説明や情報収集に明け暮れた一週間でした。先様の都合に合わせた結果から生じた強行日程でしたが、おかげで私のなかで少しぼんやりした部分もあったNSDI-PT(地理空間情報活用促進プロジェクト)も随分とその形が見えてきたように思われます。


 鑑定業界のなかにおける位置付けはまだまだ先のことでしょうから、依然として記事にできることはございません。勿体ぶる訳ではありませんが「急いては事をし損じる」と云うことでしょう。蓋を開けてみなければどのような決着が待っているかしれたものでは有りませんし、鄙の堂守は「堂守らしくボチボチと」といった心境です。陰の声なら「チマチマと」といったところでしょうが、今はNSDI-PT提案がより良い姿を現せることを待つのみです。
 そんな訳で、今日のエントリーも在京街角日記です。先方の都合に合わせてという日程は当然のことながら、多くの待ち時間や空白時間が生じます。その間をただ待つのは性に合わないので、あちらこちらお上りさんよろしくウロウロしていました。 まずは、久しぶりに駒形の「どぜう」を訪ねました。昔通りに葦茣蓙に長尺板を並べただけの桟敷席は有名ですし、マル鍋もサキ鍋も語るまでもありませんから、詳しくはお店のサイトにお任せします。最近は「江戸文化道場」などという催し物も開催されているようです。
「駒形どぜう」

「江戸文化道場」 永六輔さんや片岡鶴太郎さんなどの名前も見えます。

「どぜう鍋」 三号は下足札兼勘定用テーブルナンバー札です。

 どじょう鍋なんてものは講釈を垂れるほどのものではないけれど、サキ鍋(開きどじょう鍋)に笹がきゴボウと玉子を追加注文し、まずはゴボウとネギ(無料)を山盛りでいただく、次いで残ったどじょうにササガキゴボウとネギを追加して玉子でとじて柳川風にしていただくと二度おいしいのである。少し贅沢をするときは、鯨刺しも注文して熱いどじょうとルイベ風(凍っている)鯨刺しを交互にいただくのであるが、霜が溶けてやや生臭くなった刺身を雪平鍋に残った出汁で軽く(レア焼き)焼いていただけば三度おいしいのである。同行者が一番喜んだのは、この鯨刺しレア焼きであった。
日曜の昼下がり、一枚のマル鍋を肴にお酒を召し上がっている中年過ぎの男性が独りいましたが、何やら絵になっていて佳いものですね。これが同じ昼下がり、隅田川のベンチでコンビニ弁当を食していたら絵にも洒落にもならない。
 どぜう(泥鰌)を頂いたあと浅草をブラブラしていましたら、こんな看板を見つけました。「”就寝”厳禁」とは、なんとまあ人を喰った物言いだなと呆れたのですが、こんな看板が何枚もありましたから軒先を一夜の宿に借りる路上生活者が多いのでしょう。昼日中から酒瓶片手にバス停のベンチで横になっている人も見かけましたし、東京という町のピンキリを見る気がしたことです。
「就寝厳禁」

 ふと東武浅草の看板を見上げますと「日光鬼怒川」という文字が目に入りました。夕方の待ち合わせまで時間のつぶし方を思案していたところでしたから、東武特急のミニ旅も悪くないと考えまして、日光鬼怒川行きの特急「けごん」ではなく上州太田行きの特急「りょうもう」を選んで車中の人となりました。
 この辺りが茫猿らしい天の邪鬼さでしょうけれど。浅草を発ってから北千住で荒川を渡り羽生で利根川を渡るという、起伏のない関東平野をひたすら行き過ぎるだけの旅ですが、これといった景色もない北関東の町並みと農村を車窓に眺めながら、昼酒にうとうとしながらも取り留めもなく目的もない伊勢崎までの二時間余りでした。 トンボ返りする伊勢崎からの帰途は、高崎経由上越新幹線「とき」、大宮からは京浜東北線で暮れなずむ東京に戻ったことです。
「東武特急けごん」

「東武特急りょうもう」

 私用に付き合ったパートナーのために、今回は少し奢って「丸の内ホテル」に止宿しました。オアゾビル八階のテラスからは東京駅が眼下です。京都駅ゼロ番フォームも良いけれど、この景色も鉄道ファンには好い眺めです。秋晴れの日に三脚と望遠があれば一日過ごせます。
「丸の内ホテル8Fテラスから」

 今回の私事は丸ビル内招福楼でのささやかな祝宴でしたが、天下の招福楼とはいえ、ビルの中の窓のない部屋では、何をいただいてもさほど美味しくなかったのが心残りです。それに滋賀県八日市が本店ですから、牡丹ハモや賀茂茄子と穴子の炊き合わせなどが売り物なのでしょうが、地物はその土地でいただくべきで、箱根越えのハモは下りものとはいえ本場には及びもつかないと思わされました。泥鰌と比べられた鱧落としも敵わないでしょうけれど、駒形どぜうに軍配を上げます。とはいえ、祝宴を駒形で開くわけにもゆかないと、設営担当者はいうのでしょう。

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