蝉時雨

 先週末(08/08/01)も東京にいました。先々週(08/07/22)に較べれば幾分か過ごしやすい東京に感じました。暑さに慣れたのと、やはり八月に入れば陽射しも風も変わってくる。目には見えねど、其処此処に秋の気配が感じられるのである。盆過ぎにも上京の予定であるが、その頃にはSVAXX-TTビル一階のカフェテラスでエスプレッソのミニカップとクロワッサンを前にして、銀杏並木の秋の気配が楽しめることだろうと思われる。季節は人の営みなどお構いなしに巡ってゆくのである。


 
(08/06/17撮影)
 前掲写真をMyBlogのなかに検索していたら、こんな過去エントリーを見つけた。五年前の記事だが、相も変わらぬ有様だなと思わされるのである。

『前略 いつもいつも精力的な発言、行動には敬意を表しています。たぶんいろいろな声が届いていると思いますが、聞いて下さい。いい悪いは別にして記念事業のあたりから「岐阜のフセイン」と陰口がながれていますので・・・・・。大変残念です。
 いつも、いつも一発の打ち上げ花火屋、総論のみ、とか「フィニッシュが出来ない」とか色々周囲は騒がしいことです。 そんな噂を気にしない「鈍感さをふるまう度量」がスゴイといつも敬意を表しています。こんなに一生懸命やるのに何故みんなが評価しないのか本当に不思議です。一度死んだふりをして一年ぐらいなんにも発言しなかったらどうでしょうか。』 【只管打座・・六本木ヒルズの光と影・・03.07.03

 変わらないなぁーと思わされるのである。破れ風呂敷、総論屋、一発屋などと、様々な批判が今も届くのである。NSDI-PTがらみで、先日も「絵空事を唱っている」と批判された。では、どうすればよいのか、その日は酒席でのことだったから、近々改めてじっくりと伺ってみたいと思っている。今日、届いた暑中見舞いの走り書きには、「協会イベントを邪魔するような動きは謹しむべき」という趣旨が書き加えられていた。「能書きが多すぎる」という批判も最近受けた。
 「雉も鳴かずば撃たれまいに!」とは、こんな時にいつも思うことである。「沈黙は金なのであろう」とも思うのである。でも堂守は思い返すのである。鉛の駄弁であったとしても、言わずばなるまいと考える。撃たれるのが怖いから沈黙を守るのは卑怯であろうと考える。ハーメルンの笛吹きに屠所へ導かれてゆく従順な羊であってたまるかと考えるのである。
 NSDI-PTについては、部分的には成就する可能性が認められるが、「大義として掲げる市民への情報提供とか市民サービス」といったものは、破れ風呂敷であろうし絵空事であろうと堂守自身が今も考えている。それでも、だからといって怯んでいては何も始まらないし、何も得られないだろうと思うのである。失敗する可能性は予感しているけれど、行動しながら考えてゆけば思わぬ突破口が見えない訳でも無かろうと楽観するのである。だから、鑑定協会や士協会や仲間たちに迷惑をかけないように、かけても被害を最小限度に留めるようにと注意するのである。虎穴に入らずんば虎児を得ずとまでは言わないが、リスクは堂守が引き受ければ良かろうと楽観するのである。負けることから始まるのだし、勝てると判っている戦いならば茫猿が始めるまでもなかろうと、不遜を承知の上で思うのである。
 今朝も早朝から蝉時雨が喧しい、今はアブラゼミだが、もうすぐにヒグラシが鳴き始めるだろう。時は待っていてくれないのである。NSDI-PTにしても、批判の一つ一つに耳を傾けることを怠ってはならないが、歩みを止めたとすれば世の潮流に遅れるだけであろうと考えるのである。既に鑑定業界は一回りは遅れていると思うに、今歩みを弛めれば遅れを増すだけであろうと考える。
 何やかやと取り留めのない愚痴話を書きましたが、最近はコアにいるから何も書けないのです。NSDI-PTも書けないし、サーバダウン問題も書けないし、地価公示フォーマット改訂問題も公示評価オンライン納品も書けない。証券化等監視委員会勧告事件後処理も書けない。切所々々に居る方々の努力は評価できるのだが、もう少し鋭角的な処理ができないものかと歯がゆく感じることも少なくないのである。もう少し落ち着いたら書けることが増えてくると思います。暫くはこのような禅問答みたいな訳の判らない話にならざるを得ないのです。来週になれば旧盆休みが取れるだろうから、八尾や氷見の話などを記事にできれば嬉しいなと思っている今朝の茫猿なのです。

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