雲外蒼天

凄い書き手が現れたものだと思う。 池波正太郎と藤沢周平と浅田次郎を合わせたような書き手である。 藤沢周平のごとく、江戸の市井に通じ、町の片隅に生きる名もない庶民に優しい目線の情感溢れる書きぶりである。 池波正太郎のごとく切れ味の佳い文章と何よりも狂言回しの小道具として扱われる料理についての書きぶりが佳い、とても佳いのである。 そして浅田次郎のごとく、弱い者へいたわりの目を向け涙腺を刺激する書きぶりも優しいのである。


凄い書き手とは「ハルキ文庫」から文庫書き下ろしの「八朔の雪(みおつくし料理帖)」を上梓した高田郁である。 高村薫の著書を求めて書店の棚を漁っていて、「八朔の雪」という見慣れない書名に惹かされて求めた文庫本である。 そういえば高村薫(タカムラ カオル)と高田郁(タカダ カオル)は著者名にも類似性が高い。 著作の方向性や書きぶりは大きく違うけれど、名前が似通っているというのも何かの縁であろうか。
八朔の雪」の八朔とは八月の朔日つまり八月一日のことである。  朔とは新月のことで旧暦の一日をいい、八朔は八月一日である。 だから「八朔の雪」とは「八月一日の雪」のことであり、南半球ならともかく、日本ではあり得ない表現だから、茫猿の興味を惹いたのである。
八朔の雪の種明かしは著作を読んで頂くとして、文中にある隣り長家に住む大工の女房が述懐する話を引用しておきます。

「あたしゃ 一応、水道の水で産湯を使った者だから言うんだけどねぇ。 江戸っ子は見栄っ張りなのさ。 本心じゃ安いのが有り難いけれど、人目があるから高い方を選ぶ。 食うや食わずは別として、ほどほどの貧乏人にはそれなりの見栄があるもんだよ。」

水道の水というのは玉川上水の水道の水ということであり、それで産湯を使ったというのは生まれ落ちてからの江戸っ子という意味である。 高田郁はコミック誌の漫画原作者としてデビューしているというから、筋の運び場面転換にリズム感があるし、会話にメリハリが効いている。 「ほどほどの貧乏人の見栄」というのが面白いし、何やら優しい表現でもある。
八朔の雪は四話の短編から成っているが、一話完結の連続物であり、全体を通じて水害で身寄りを失った澪(みお)という孤児が、ひょんなきっかけから大店に引き取られ、大店が没落した後はそこの女将と江戸の片隅で料理屋に勤めながら生きてゆくという物語である。 幼い頃に易者に言われた「雲外蒼天」の相が見えるという卦を頼りに、いつか厚い雲を出て蒼い空を見ようと励んでいる澪という娘の物語は、とても佳い読み物である。
行方不明になった大店の若旦那探し、水害の後これも行方不明になった幼なじみとの思いもかけぬ邂逅(かいこう:めぐりあい)、これからの展開が楽しみであり、裏のテーマである料理の披瀝も楽しみである。次回作「花散らしの雨」は10/15発売と予告されているから、来月が楽しみである。
その前に、彼女はこれまでに「出世花(祥伝社文庫)と、「銀二貫(幻冬舎)」を出しているというから、次作が出るまでは、この二作を求めて読んでおこうと思っている。

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