塾なるもの

 既報のとおり、11月13日(金)午後13:30より塾『鄙からの発信』第十回を開催します。 今回は鑑定協会副会長の緒方瑞穂氏を講師にお迎えしての開催ですから、いつもよりは参加申し込みが多いように見受けられます。 事前申し込みを参加条件としていませんから、実際のところは当日にならなければ判りませんが、それでも業歴の比較的若い方の申し込みは相変わらず少ないように思えるのが残念です。 私が塾を開こうと考えた一番の目的は、デジタル化の進展が生の声が飛び交う場を失わせつつあると思えたから、「出会いと語りあいの場」を設けたいと考えたことにあります。


 茫猿が鑑定評価に飛び込んだ頃の業界での主なコミュニケーション・ツールといえば、電話と葉書・手紙しかありませんでした。 ファクシミリの普及はしばらくしてからのことであり、その当時の流行語に「忠犬ファックス」というのがありました。
 ファクシミリを送信したものの、無事に届いたかどうかが心配で、返信を待ちわびながらファクシミリの前でウロウロしている当時の年配役席者のことを茶化して、そう呼んだものです。 岐阜で事務所を開いてからしばらく後に(77年前後)「深夜のファクシミリ事件」を引き起こして物議を醸したこともありました。
 二十数名の会員にファクシミリを送ったのですが、一斉送信を夜の九時頃に発信したところ、当時の通信速度は遅いことから、送信順番最後に近い方の自宅兼事務所の電話ベルを深夜に鳴らしてしまったのです。 「深夜にファクシミリを送りつけてくるなど、無礼な奴」というお叱りをいただいたのです。 当時は業界で下から何番目の若手でしたからお叱りも無理ないのですが、私にしてみたら電話とファクシミリの併用であれば自動切り替えは当然のことであり、送信料を安くするためには夜八時以降の発信も当然と考えていたのです。
 でも、その当時では音声電話併用かつ手動切り替えの人も少なくなくおみえでしたし、夜間はファクシミリの電源を切るのが当然とお考えの方のほうが多かったように記憶します。 
 インターネットやメールやリアネットなどを当たり前と考える今からでは想像もつかないことかもしれませんが、比準価格も収益価格も積算価格も試算は算盤で行い、検算だけは事務所に一台しかない高価な電卓で行っていた時代のことです。 茫猿が初めて電卓を購入したのは72年のことですが、当時の給料の二倍以上の値段もした上に、その大きさもドカ弁を上回るサイズでした。 
 こんな昔話をトクトクと語るから年寄りは嫌われると承知していますが、そうのような超アナログの時代ではデジタル時代のような行き違いや感情のもつれは比較的少なかったように思い出します。 インターネットを渉猟し主要データもオンラインで得られてしまい、デジタル情報さえ得られれば総てを把握したように錯覚してしまいかねない現代には、不注意メールで生じた気分や気配のもつれは増幅されても解消する方法は乏しいように思います。
 そんな些事でなくとも、いつの時代にも枢要な情報はフェイス ツー フェイスで伝えられるものです。 電話や手紙であれば、まして直接面談であれば伝わる気配や微妙な感覚も、聞き間違い言い間違いの訂正もさほどに難しくはありませんが、デジタルネットワークの世界では受発信は容易でも、一度発信された情報の訂正は結構難しいものです。
 そんな思いが高じてきて、業キャリアのお若い方にとっての「出会いと交流の場」を設けたいと思い立っての塾『鄙からの発信』でしたが、どうやらそのような懸念は緑寿の茫猿だけのものであり、デジタル時代の申し子達には無縁・無用のまさに茫猿遠吠、ただの独りヨガリだったようです。
 鑑定士は情報処理加工業種の一つであると今も茫猿は思っています。 であればこそアナログ的な情報処理、というよりも「出会いと交流の場」を大事にしつつ、表情や声でしか判らない、伝えられない情報も存在するのだという認識を持ち続けていたいと思っている茫猿です。
《蛇足》
 メールの不手際では、こんな事件も最近にありましたか。
 修行そして受験時代からドカベン電卓を購入するまでのあいだ、強い味方だった算盤である。 奇跡的にというか、なぜか捨てることが出来ずに今も事務机の抽出の中に眠っている。
    

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