前田純孝

 読者の皆様は前田純孝をご存じでしたか、茫猿はつい先ほどまでその名を知りませんでした。 餘部鉄橋を訪れたことから、夢千代日記を改めて見直したことに始まり続夢千代日記を見たところまでは先に記したとおりですが、まだ見ていなかった新夢千代日記は吉永小百合と松田優作のテレビドラマと思っていたのです。 でも、購入した新夢千代日記DVDは夢千代が餘部鉄橋で出会った記憶喪失のボクサーとの物語を縦糸に、松田優作がダブルキャストで演じる若くして病に倒れた歌人「前田純孝」の歌集を横糸にするドラマでした。


 餘部の近くの寒村諸寄に生まれ(1880年)都会に出るも、病を得て故郷諸寄に死んだ(1911年)前田純孝は、与謝野鉄幹に「東の啄木、西の純孝」と称された歌人だそうです。 ともに貧苦にあえぎ若くして亡くなった歌人ですが、あまりにも有名な啄木に較べて純孝は無名のまま生涯を閉じ、今も知る人ぞ知るという存在のようです。 茫猿も新夢千代日記DVDを見るまでは知りませんでした。 まだ詳しい彼の事歴は知りません。 でも彼が病床に残した歌を読めば、彼の事歴など無用に思えます。
 病めるもの 世に用はなし かくのごと 我は思へり 汝も思ふや
《体内被曝の病症に苦しむ夢千代の姿にかぶせて、この歌がテロップで流れれば、夢千代のやるせない心に我が心も同期するのです。》
 継母に いぢめられたる 一列の 子のゆくごとし 木枯はなく
《夢千代の営む芸者置屋には、薄幸の女が風に吹き寄せられる落ち葉か雪のように集まってきます。 なかには生家に居場所のない女もやってきます。》
 大あらし 村の漁師の 生き死にの 解決(こたえ)もなく 夜の幕は垂る
《冬の日本海は他の船をかえりみることなど許されない、”てんでしのぎ”の海です。 漁船が遭難したと言っても陸(おか)から見守るしか術(すべ)がないのです。 松田優作演じる記憶喪失のボクサーが漁船に乗り時化の海で遭難しと聞いて、夢千代はお座敷着のまま吹雪く夜の波止場に立ち尽くします。》
 
 女等の おらぶののしる 泣く声す あらしまだ止まぬ 漁村のあした
《松田優作ひとりは、かろうじて助かりましたが、他の乗組員は誰も帰ってきません。 帰らぬ者の家族は、おらぶ(叫ぶ)、(さだめを)ののしる、そして泣くしか術(すべ)ないのです。》
 草の上に 我れ血をはけば 忽ちに ひなげしの花 芍薬の花
《夢千代の病状はすすみます。咳をすれば懐紙に血が赤く鮮やかに滲みます。》
 磁石の針 ふり乱さんは 無益なり 磁石はつひに 北を指す針
《誰かに寄り添うことも、自らの病を思えば寄り掛かることになってしまう。 残された命はあと二年、一年と思えばこそ、恋に身を投げることもかなわないと思い知る夢千代です。》
 前田純孝について、何も知らない茫猿が訳知り顔に何かを記すのは、恥おおきことです。 純孝については、これらのサイトが詳しいですから、そちらを参照して下さい。
  《新温泉町ガイド:前田純孝
  《餘部-浜坂-諸寄-前田純孝

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