過ぎし15年とは

 今日は阪神・淡路震災から15年目の日である。 15年前の早朝に眠りを覚まさせた、布団の下からドーンと突き上げる振動を今でも覚えている。すぐにテレビをつけたが、その後の経過は多くの報道の通りである。 当時の茫猿にとっては、阪神地区には同業の知人が何人かいたが特に親しいと云うこともなく、多くの人と同じ程度の関わりでしかなかった。
 その後、長男が神戸の大学に入学したことから、三月の半ばに神戸市内に住まいを探し転居の荷物を運ぶために、初めて震災後の町を訪れた。 二ヶ月余が過ぎたとはいえ、市内は瓦礫の山であり、車のなかにも漂ってくるニオイは異常なものでした。「七年の長さと短さ」


 その後の阪神地区の復興は表面的にはとても目覚ましいものであり、注意して見なくては震災の跡はすぐには判りません。 でも町の建物は復興しても、かつて存在した町の生活が元に戻るわけもなく、震災復興住宅で孤独死する人が今も増え続けていると報道されています。
 折しも、カリブ海の小さな国ハイチでは大地震が発生し、十万ともいわれる死者が出ていると報道されています。阪神と似たような直下型地震がハイチの首都を襲ったと云うことのようです。ハイチというアメリカ大陸では歴史が古い国が、米国の脇腹に位置するという地理条件を持ちながら、その歴史の故に貧しいままに今に至っていることが被害を大きくしているようです。
 文明は都市を形成するものであるが、都市を形成すると云うことはすなわち、大型の建物を建築し、高架道路や地下・高架鉄道を建造し、上下水道や都市ガスを整備するという、いわば従来の自然環境を造り替え(破壊とも云える)、人間にとって快適性を追求してゆく構造体を築いてゆくことに他ならず、それは地震や洪水などの天災に立ち向かってゆくことに他ならない。 しかし、どこまで震災や洪水への対策を講じても、十年に一度の災害には対抗し得ても、百年に一度、数百年に一度、千年に一度の規模で襲いかかってくる災害に抗し得ることは容易ではない。 およそ不可能といってよいであろう。
 火山帯、地震帯に位置し、急傾斜急流河川が多く台風襲来地帯に位置する日本にとっては、何年かに一度は全国の何処かで(都市であれ山間地であれ)大きな災害に遭遇することが避け得ないと云わざるを得ないのであろう。 災害を無くそうと努力することは必要なことだが、努力すればするほど災害に遭遇する期間サイクルは長くできるが、逆に大災害に遭遇したときの被害度と復興の困難さが等比級数的に増してゆくという矛盾に直面すると云えるのであろう。
 災害襲来を含めて自然を克服するという姿勢から、災害を所与として災害と上手に付き合ってゆく、妙な言い方かもしれないが災害と共存してゆくという姿勢が、改めて問い直されている時期なのではと思わされる。
 震度7を所与として、耐震構造の高層建物を建築するのではなく、倒壊には至らない倒壊しても人的被害を最小限にとどめる中低層建物建築を指向する。街区の中や周辺に緑地帯などの安全エリアを設ける。 数百ミリの降雨を所与として河川堤防の構造を強化するのではなく、遊水池を設けたり山の保水力を強化して洪水量を減らしたり出水の時間差を得るようにする。 こういった自然とのつき合い方を考え直してみたいと思えるのである。
 今の時点でただちには採用できないかもしれないが、昔から地震多発地帯では居住家屋の近くに竹藪を設けるのが当然だったし、洪水時には田圃が遊水池機能を果たしたし、堤防をいたずらに強固にするのではなく増水を逃がす霞堤を造って破堤を避けたりしたものである。
 都市の高層化、高度化をバベルの塔と云っては語弊が過ぎるかもしれないが、いたずらに対抗力を付けてゆくことだけを考えるという「文明のあり方」を根本から考え直すべき時であろうと思うのである。 それは何も地震や洪水についてだけ言えるのではなく、新型インフルエンザについても似たようなことが言えるのでなかろうかと思う。 ひたすら流行を押さえ込むことを考えるのではなく、風邪程度でやり過ごすという対処法もあると考える。
 それは自然との共存であり、ひたすらに高度化を指向する文明というものについて、共存するあるいはやり過ごす、少しは耐えるという文化というものを創ってゆくことに他ならないのではなかろうか。 そしてそれは「費用対効果」、「経済合理性」といういわば文明的社会構築にもつながると思うのだが如何だろうか。

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