古稀の手習い

古稀即ち数え歳七十(満六十九歳)にはまだ若干の間がある。 でも古来稀なる歳も今や世間にありふれた普通のことよと、自らが近づいて初めて実感している。 古稀とは頭に霜をおき、腰曲がり皺深き老爺のことと思っていたが、いざ自分がその歳近くになってみて、コキコキなどと言いならわしては楽しんでいる。

「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」と出典(杜甫)にはあるが、茫猿は還暦を過ぎてから飲み屋でツケはしないこととしている。現金払いかデビットかクレジットカード支払で済ませている。万ヶ一残した酒債が払えなくなり「香典代わりにしておきます。」などと云われたくはないからである。 虎死して革残し、茫猿死して酒債遺しでは洒落にもならないのである。 《暖簾をくぐることも随分と少なくなりましたけれど》

それでも最近になってみて実感することが一つある。人というモノは、理屈で判っていても情で判ろうとしていても、本当のところの七十歳の気持ちはその歳にならないと判らないものだと、実感している。 四十、五十の頃に推し量っていた六十代の心情、六十になって想像した七十の心象風景というものは、その歳にならねば判らないものだと、つくづく思っている。 当時に想像した先輩方の心情や両親の心根など、薄っぺらなものだったと思い知っている。

NHK朝の連ドラ「カーネーション」を毎朝BSで7:30から見ている。ヒロイン小原糸子を尾野真千子さんが演じていた頃も面白かったが、糸子が七十を迎えて夏木マリさんが演じるようになって、なおさらに面白く見ている。ヒロインの心情に感情移入できるのである。 歳を重ねてゆくごとに知らされる老いというものの姿、老いに近づいてからこそ知る喜びなどというものをドラマを通じて再確認している。 夏木マリさんは寅さんシリーズのなかで、寅さんの甥御ミツオのマドンナ・後藤久美子演じる泉の母親役で何度も出会った役者さんであり、シリーズのなかでは異彩を放つ存在感があった。

ところで古稀近くになって、何の手習いを始めたかといえば、それはこの『鄙からの発信』に関わることなのである。 最近になって『鄙からの発信』発刊ツールを替えたことは前にも記事にしました。 『鄙からの発信』ウエアを替えたといっても、その衣替えの全ては我が縁者の手によるモノであり、茫猿は何も手を下してはいない。 もちろん、移行後の幾つかの作業、つまり全体の外観テンプレートの選択、背景色の選択、ヘッダー画像の作成とアップロードなどは茫猿の手によるものである。 当然のことだが、記事の作成とアップロードは全て茫猿が自ら行っているのは云うまでもない。

しかし、今や毎日が日曜日の茫猿なのであるから、もう少し色々なことを試してみたくなったし、色々な仕組みを理解したくなったのである。 例えばアクセス分析にも着手したくなったのである。 今回導入したWordpressには、様々なプラグイン機能を導入することが可能であり、アクセス解析ツールとしてGoogle Analyticsという機能を加えたのであるが、この機能の詳細が知りたくなったのである。

縁者にe.Mailを送れば、機嫌が良ければ二、三日の内に、機嫌が良くなるまで待てば旬日も過ぎる頃には設定を変更してくれることはくれるのだが、時に嫌みを云われたり、時に理解不足を窘められたりするのが癪である。 何より借りを作ることとなるから、銀座の鮨を所望などとほざかれもするのである。 現役の頃ならいざしらず、今の茫猿には銀座の回転寿司でも負担は軽くないのである。 であれば惚け防止もかねて独学自習だと、参考書を求めて手習いを始めたというのである。

購入したのは「はじめてのGoogle Analytics」 そして「SEO戦略マニュアル」である。 いずれもこの手の書籍に定評がある秀和システムが刊行するものである。 購入してまだ数頁を読んだだけであるが、昨夜は改めて知る喜びを感じていたところである。 《 Google Analytics とは何か。   SEO戦略とは何か。  》

ただ独学自習は佳いとしても、心懸けておかねばならないことがある。 最近に知らされたことがある。 「茫猿さんは、新スキーム事例閲覧システム構築に際して、オープンソース採用とかフリーウエア検討とか喧しく言われるが、個人的な小規模データベース構築ならいざしらず、協会の公式サイト(イントラネット)に設けるデータベースにSQLでは却って問題を複雑にしかねない。  高くても安定性や取扱の便宜を考えるとオラクル採用がベターでしょう。」と教えられたのである。 生兵法怪我のもとと、古稀間近にして改めて教えられたのである。

今日の夕刻には、ロータリークラブに在籍した頃からの先輩H氏の叙勲祝賀パーテーに出席する。 限られた仲間内だけの肩肘張らないお祝いの会である。 叙勲などという世俗的栄誉には無頓着な方であるが、業界の慣わしもあり無碍に断ることもできない叙勲だと伝え伺っている。 これも老いの一つの姿なのかもしれない。ちなみにH氏の御歳79歳である。

 

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古稀の手習い への1件のフィードバック

  1. Nobuo Morishima のコメント:

    本記事をアップして数日後に、サイト支援者からこんなe.Mailが届きました。
    「人が週末を潰して設定したモノに対して、あんまりじゃないですか?
    明るい諧謔と、度を過ぎた当てこすりは違います。わきまえてください。
    久しぶりに、非常に不愉快な思いをしました。」

    つい数日前に、私より七歳年長の縁者が末期癌で余命幾ばくも無いと聞かされました。
    彼をどう見舞ったらよいのかと、考え倦ねています。
    『あと半年か それとも一年か
     そのあいだに あなたの妻や息子や嫁や孫たちに、
     佳い思い出を遺してあげて下さい。
     その為に残されているであろう時間を、上手く使い切って下さい。 
     私が母や父と過ごした一年間を振り返ると、しみじみそう思います。』

     このように考えていると、彼に言うだけでなく、
    実は私自身がそうあらねばならない年齢に近づきつつあるのだと、思います。
     白秋を過ぎ玄冬に入りつつある自らこそが、周りの人たちに佳い思い出を
    遺してゆくのが余命というモノなのであろうと、思っています。

     さはさりながら、相も変わらず、皆の心を逆撫でしている
     自分というモノは つくづく度し難い奴よと 自戒するのです。

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