シネマin鄙

事務所を鄙に移転した後に、束の間に終わった晴耕雨鑑の日々から、本格的な晴耕雨読の日々に移って早や3年が過ぎた。 雨読とはいっても以前に網膜剥離を患い、最近はその後遺症からか衰えはじめた右眼にとって、長い時間、本を読むことは負担が少なくないのである。 そこで映画かTVであるが、シネコンに上映される映画に観たいものは少ないし、観たい映画が上映されているとしても上映期間は短く、気づいたら上映リストから消えていたと云うことも多い。 TV(基本的にBS)も観たいものが少ない上に、見逃したり録画を忘れたりするし、憶えていてもその放映時間にTVの前に座ることを強制される。

そこで雨の日などは無聊をかこっていたら、縁者が「DVD郵送レンタル」を教えてくれたけれど、聞き流していたのであるが、あることから郵送レンタル利用を始めたのである。

きっかけは「アブラクサスの祭」からである。 玄侑宗久師著の「アブラクサスの祭」(2061.01発売)を読んだのは2011年のはじめ頃のことであるが、その後に、2010年にこの書が映画化(2010.12公開)されていることを知った。 知らなかったのは当然のことで、上映館は一部であり岐阜県内では上映されなかったのである。そこでDVDレンタルを考えたが、近郊のレンタル店で在庫を見つけることはできなかったのである。 そして思い出したのは、郵送レンタルなのである。

早速に某社の「郵送レンタルの無料お試し」を申し込んで、「アブラクサスの祭」を申し込んだというわけである。 映画「アブラクサスの祭」は原作とは一部ストーリーが変えられているが、原作の印象を損なうことのないものであった。 今、改めてDVD映画を反芻しながら原作を読み返している。 心の病を患う在家出身の禅僧浄念が辿ってゆく禅寺生活とロックミュージックの交差する日々が臓腑におちてゆくのである。 並行して断片的に読むのではあるが、<問い>の問答における直哉師と宗久師の語らいも沁み通ってゆくような心地がする。

劇中、浄念が親しくしていた檀家の一人が自殺したあと、檀家の息子が浄念に「父は何故、自殺したのでしょう?」聞く。 浄念は「判りません。」と答える。 そして答えた後、息子の胸をコブシで叩き、同じコブシで浄念自身の胸を叩いて、「判りません。だから、ずっとその想いを抱えてゆくのです。」と言うのである。

ところで、ご存じな方も多いのであろうがDVD郵送レンタルの仕組みについてである。 レンタル企業のWebSiteからレンタル希望のDVDをリストアップしておくと、希望順に二枚づつのDVDが郵送されてくるのである。 月間8枚(配送回数は4回)の定額契約で月間契約金額は1,958円である。 DVD郵送は送られてきた2枚のDVDが返送確認されないと、次回の配送が行われない仕組みである。 返送は配送封筒に入れて、ポストに投函するだけである。
つまり、月間8枚契約であっても、2枚のDVDの返送が確認されない限り、次回配送が行われないから、その月の一枚あたりの利用料は「1,958円÷2枚=979円」ということになる。 スピーデイに配送・視聴・返送を繰り返せば、といっても週一度程度の作業であるが、一枚あたり245円ということになる。月間の借り出し利用枚数契約は4枚、8枚、16枚と用意されている他に、単品レンタルやTV配信などのシステムも用意されている。

鄙人にとっては、鄙人に限らず借り出し・返却に店頭に赴く手間暇の煩わしさを考えれば、良くできているシステムだと思われる。何よりも、マイナーな映画や、かつて観た名作の再視聴や、若き日々に見逃した映画を視聴するには便利なシステムである。 亡き父母のために設置したものの誰使うことなく母屋で眠っていた大型画面液晶テレビも、その場を得たというものである。 このDVD郵送システムの利用は始めたばかりだから、いつまで続くか、直ぐに厭きるかもしれないが、しばらくは晴耕雨読変じて晴耕雨DVD(雨鑑)の日々なのである。 それでも映画はやはり映画館だろうなと思ってもいる。

とは云いながらも、DVD in 鄙にはBS-TVやシネコンでは得られない自由度がある。 トイレタイムをはじめ、飲料が欲しくなった時、眠くなった時など、一時停止または停止して後刻に続きを観ることが当然ながら自在である。 これからは、これも鄙塾に使ったあとは眠っているプロジェクターにスピーカシステムをつなぎ、ディレクターズチェアでも求め、ささやかなホームシアターを作っても良かろうかと思っているところである。

ちなみに、アブラクサスの祭以外にレンタル予約リストに登録したのは、駅・STATION(高倉健・倍賞千恵子)、天国の駅(吉永小百合)、シャーロック・ホームズ(ロバート・ダウニー・Jr)、ザ・ヤクザ(高倉健、ロバート・ミッチャム)、ホタル(高倉健、田中祐子)、単騎千里を走る(高倉健、寺島しのぶ)、ロボジー、英国王のスピーチ、あしたのジョー(伊勢谷友介、香川照之) などである。 高倉健が多いが、ポッポ屋は入れていない。田中好子も夏目雅子もまだこれからなのである。 幼い頃に連続ラジオドラマに熱中し、その後映画化されたものの、映画館は子供にとって遠い町にあり、そんなに豊かでも無かったから、映画はついぞ観ることもなく忘れていた「新諸国物語・笛吹童子」も観てみたいリストの一つである。 福田蘭童のテーマ音楽が「ヒャラーリ ヒャラリコ」と耳に蘇ってくるのである。 最近亡くなった新藤兼人監督:乙羽信子、杉村春子の「午後の遺言状」もぜひ観てみたいひとつであるが、こう並べてみると茫猿の好みは随分と散漫なようである。

「追記」 アブラクサスとは異端の神学の、神でも悪魔でもある絶対者の名前である。(アブラクサスの祭より引用)  祭とは「フェストゥム:祭」であり、人生における祝祭であり、一大事的な出来事であり、主人公浄念にとってはライブでロックを歌うことである。(同書解説より)

『ところで』  晴耕雨鑑は茫猿と畏友小野寺氏だけの造語と思っていたのであるが、晴耕雨鑑をGoogle検索してみたところ、我がSite以外にもヒットするのである。 不思議に思って覗いてみたら、何と「晴耕雨読」変じて「晴耕雨映画鑑賞」つまり「晴耕雨鑑」というわけなのである。

「追記-2」 早速にプロジェクターとスピーカシステムを接続して、ミニホームシアターを構成してみた。スクリーンを岐阜のY電機やKs電機に探しに行ったが、在庫はなく取り寄せになるというから、ネット通販で安かった90インチ級を注文した。 スクリーンが届くまではシーツを代用して観ているが、結構な迫力の絵と音に包まれている。 今は、2002年に買い求めたウイーンフィルのニューイヤー・コンサートを楽しんでいる。 この年の指揮者は小澤征爾で、客席には息子の小澤征悦の顔も見える。 新年の挨拶も終わり、今は美しき青きドナウ、もうすぐ、定番ラストのラデツキーマーチがはじまる。

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