2011.03.11から三年

2011.03.11から三年が過ぎた。 はや三年、もう三年である。
復興は遅々として進まず、原発は安倍総理が言うようなコントロール下にあるとはとても言えない状況である。 時間の経過は時に残酷でもある。 ひとの思惑を超えて無情に過ぎてゆく。
いたずらに経過した月日を数えたり、被災者数、避難者数、被災家屋数を数えたり、被災の実態を数字化することは必要な側面がある。 しかし、数値化は無機質化であり、ひとりひとりの名前や被災実情を見えなくしてしまうことでもある。 だから一人でも二人でも、被災者個々の顔と名前を忘れないこと、具体的な被災場所を忘れないことが、とても大切だと思っている。

三年前の四月に三陸に行き、その後も都合三度、福島、宮城、岩手を歩いて考えたことがある。 その後も震災復興関連の報道を眼にするたびに考えてきたことがある。

それは、復興は復元でよいのかということである。 津波と原発事故は大きな被害をもたらしたと見えるけれど、ほんとうにそうであろうか。 震災は多大な被害《未曾有の被害》をもたらしたということはそのとおりであるが、それだけでなく、震災は三陸沿岸や原発立地地域が震災前からかかえていた問題を顕わにしたのであり、その顕わにした事実と正面から向き合うことが、とても大切であろうと考えるのである。

三陸沿岸地域は過疎、少子高齢化に悩まされてきた地域でもある。 福島原発が福島浜通りに立地したのは、そもそもが過疎化に悩まされる地域であったからである。 また同地域の主産業は農林漁業とその関連加工産業である。 加工産業はともかくとして農林漁業は後継者不足、産品の価格下落、輸入品との競合などに長く悩んできたのである。 この被災地エリアとその周辺地域環境が阪神淡路震災とは大きく異なる点が、復興にも大きな陰を落としている。また被災地エリアが東北三県の広範囲に広がっている点も復興を困難にしている。

そのような地域に、ただ復元復興を考えるだけでよいのであろうか。 10mから20mの高さといわれる《鉄とコンクリートを注ぎ込んだ》超大型防潮堤を築いて、《そこは浜とも云えない》要塞のような浜を造り、区画を整理し津波避難施設を造るだけでよいのだろうか。 工事が完了する数年後には、ただでさえ人口流出に悩んでいた被災地域が、若者を中心にしてさらに人口流出が進み、さらなる過疎化を進めるだけとなりはしないだろうか。 そうでなくとも、日本全体が人口減、少子高齢化の時代を迎えているのである。 三陸や福島浜通りだけが人口減から無縁ということはあり得ないことであろう。 復興住宅のような居住施設だけを整えてみても、多くは高齢者のみが居住する住宅を生むだけではないのか。

復興事業という公共事業に傾斜し、鉄とコンクリートを注ぎ込むだけでよいだろうかと考える。 家族を離散させてはならないし、故郷への愛着を無視してはならないと考える。かつて住んだ浜近くに再び帰りたいという望みも無視できない。 しかし、明治以後の百年のあいだにも二回も三回も津波被害を受けた地域に、再び居住の地を求めるということは、情において理解できても理において正しいとは思えない。 かつての三陸を取り戻すと言えば聞こえがいいが、それは同じ過ちを繰り返すことになりはしないかと危ぶむのである。

茫猿が歩いた三陸沿岸の距離は僅かなものであるが、それでも津波が全てを流し去った浜や入り江は静けさと同時に古(いにしえ)を偲ばせるものがあった。 白砂青松の浜を偲ばせてくれるのである。 関係者の意向確認が大切であり尊重されなければならないけれど、幾つかの、実は多くの震災海岸線を「国立公園・特別景勝地域」に指定し、白砂青松を取り戻せないかと考えるのである。

換金可能な特別国債を発行して、被災地の宅地や農地を国が買い上げて《あるいは借り上げて》国立公園・国有地化する方策を考えてみるべきであろう。 高齢者にとっても若者にとっても、医療・教育・生活環境の向上は大事なことであり、被災地での生活再建を目指すよりは、売却資金をもとに新天地で生活再建を目指した方が合理的であり家族離散を防ぐことにもなろうと考える。

買い上げた被災地は瓦礫を撤去するだけで、余計な工事を施工する必要はない。 自然の回復力に委ねておけば、十年を待たずして古の自然環境が取り戻せるであろう。 そこは観光資源としても有用有益なエリアとなるだろうし、漁業環境としても資源保護あるいは復元に寄与することであろう。 施設建設を望むのであれば、背後地域や高台地域に居住エリアを含めた施設エリアを設ければよかろう。

被災自治体のどこかが、復元復興ではなく、震災を契機とする自然環境復元を目指すことができないだろうか。 国は復興特区の一つとして、そんな復元を支援できないだろうか。 買い上げ価額一つをとってもても困難な問題は多く存在する。 それでも百年の計というか、津波に悩まされた百年に学んで新しい次元の百年後を目指せないかと考えるのである。

復元復興と異なり、異論は百出するだろう。なによりも故郷に戻りたいという情には抗えないかもしれないが、ここは情ではなく理に棹さすべきであろう。 三陸沿岸に日本古来の白砂青松の海岸美を取り戻し、福島浜通りでは二十年三十年を経なければ影響の多寡が見えない放射能汚染地域から離脱する手段としての施策を考えるべきであろう。 被災地だけでは為し得ないことであるからこそ、日本全体で考え支援するべきことであると考える。 牧歌的なあまりにも素朴な考えかもしれないが、単純で素朴な考え方であればこそドラステイックかつ抜本的な解決策に近づけると考える。 そこから丁寧な粘り強い議論を重ねてゆくべきと考える。

 

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