地表から目線を移せば

動力鎌で屋敷林の下草を刈っていたら、地上に白いものが散らばっている。よく見ると白いものは散り敷いた花びらだった。草刈りは目線を地表に固定している。脇見をしていると鎌先を石に当てたり、成育中の幼木を切り倒したりしてしまうからである。

動力鎌のエンジンを止めて上を眺めると椿が咲いていた。我が屋敷林には藪椿が多いが、他にも山茶花や夏椿、八重椿などなどがある。白い花びらを散らしていたのは、秋に咲く白地を基調に薄く紅をはいた八重の椿である。屋敷林の中では遠望がきかないし、頭上に咲いているから花を見落とすことも多い。たまたま、草刈り時期にあわせて咲いていたから、主の眼に留まったと云う訳である。20151007tubaki

頭上では秋になると渡ってきた鳥が鳴いている。「ピー キリキリ ピー」などと鳴いているが、野鳥には疎い茫猿は鳴き声で鳥の種類を聞き分けることはできない。樹の上の方で鳴いているから姿を見ることも無いけれど、姿を見ても名前の判らない茫猿である。《それでも姿や鳴き声で判る野鳥を挙げてみると結構いた。鴉、雀、燕、鳩、川鵜、鷺、青鷺、鳧、百舌鳥、鵯、真鴨、軽鴨、鴛鴦、椋鳥、鶯、目白、四十雀etc》

今年の柿は散々の出来だったが、温州みかんは上々の実なりである。この分では老夫婦の口を満たす程度の収穫は得られそうである。20151007mikan

初秋に話題にした酢橘《スダチ》であるが、ぼちぼち全部摘み取る頃合いのようである。在りし日には喜んでくれた酢橘と法蓮草を供え物に持参して、来週あたりは中村の墓参りに行こうと考えている。六月の末に彼が亡くなってから、はや三ヶ月余が過ぎた。去る者日々に疎しとは言うけれど、彼を思い出すことも間遠になりつつあるこの頃である。お彼岸の頃にはベトナムにいて、お参りが出来なかったから、やや遅れたが百ヶ日のお参りをして正信偈を上げようと考えている。20151007sudachi蜜柑と酢橘であるが、写真では見分けがつかない。実物では一目瞭然なのだが。

4月から7月にかけて、中村君のことを記した記録を読み返してみれば、今も目頭が熱くなってくる。京都へ行っても彼にはもう会えない。会うことは叶わない。そのたった一つの事実がとても重い。何を言っても何を考えても、彼はもう居ないのである。《彼に関わる記録は”タグ”友よで検索できる。》

 

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